共白髪 - 遠野


 正直、自分でもびっくりだ。
 指折りなんて数えていたら途中で混乱してしまう程の年月に「わお」なんて声を上げてしまう。
 彼と付き合って、いつの間にやら優に百年が経過していた。おれも歳を取るわけだ。

 結婚どころか婚約すらしていないから、恋人なんて云う不安定な関係のまま。けれど恋人と云う言葉に付随してくる甘酸っぱいものは、いつの間にか何処かに消えてしまっていた。それもそうだ、いい歳してイチャついていたらホラーとしか思えない。そりゃあ昔はベタベタしたもので、体の一部をマグネットのようにくっつけていないと落ち着かなかった。嗚呼バカップル。今目の前に居たら蹴飛ばしてやりたい。
 バカップル時代は付き合い始め…恐らく、おれは未だ十代だったと思う。今思えば犯罪だろうよ。よくもまあそんな子供を抱こうだなんて思ったものだ。呆れて溜息を吐き出しながら、仕出かしてくれた彼に感謝もする。躊躇いは海の如く深かっただろうに、それ程におれを愛したか。
 喉の奥で笑うと、目が合ってしまった兵士は気まずげに目線をうろつかせた。
 そうだ、此処は執務室だった。右手の中では使い慣れた羽ペンが踊っている。常よりも静かな空間に、代理で身辺警護を任されている兵士の聊か大き目の呼吸音が聞こえてきた。
「コンラート閣下は、夕刻には城に戻られるとの事であります」
 おや。と呆気に取られながら、執務机に頬杖をついた。いつ彼の名前を出しただろうか。不思議に想い首を傾げると、兵士は居たたまれ無さそうに、やっぱり目線を逸らした。
「閣下の事をお考えになられているのだと思いまして」
 面白い兵士だ。正直な若者に対して、図星だからといって癇癪を起こす必要も無い。口元を弧に描く。
「考えていたよ。あいつが背中にいないと落ち着かないんだ」
「もうすぐ、戻られますよ」
 すると困ったように眉を下げられた。その図太さなら血盟城勤めの素質あるよ、君。
 付き合って百年以上経ってるくせに、未だにアンニュイになっているおれを、笑いたければ笑うが良いさ。前言撤回するよ、バカップル時代が終わったわけじゃなかった。付き合い始めとは違う形を取って、結局バカップルやってます。


 月が昇るのを待っていたら、唇が渇いてしまう。お帰りなさいの代わりにキスをして、片付かない書類は今だけ忘れて部屋へと雪崩れ込む。
 おれは無造作に置かれていた肌触りの良いクッションを抱きかかえて、カウチにドサリと腰を落とした。部屋主はおれの目を気にする事無く、埃の匂いがする服を脱ぎ出す。それを横目に見ながらクッションに顔を埋めた。
「城門前でちゅーしても、もう誰も驚かないのな」
 つまんねー…と漏らしたら、可笑しそうな笑い声が耳を打つ。「驚かれたのなんて、いつの話ですか」なんて言われても、実は覚えていない。気付いたら城の者達にとっての日常になってしまった。
 人目を憚る必要の無さ故に、きっと結婚しなくても良いやなんて結論に至っているのかもしれない。婚姻届一枚で済むのなら届け出ていたかもしれないが、付随する面倒事を思えば、その気も失せる。そのような形を取らなくても二人の間では特別変わる事が無いのだから、必要も無いように思えた。
 そんな相手が初めての恋人だったのは幸か不幸かと、何とは無しに考える。
「それなりに大人になったら、可愛い女の子といっぱい付き合う予定だったんだけどなあ」
 ハーレムを作るなんて言わないけど、人並みに、ね。それを隠す事無く口に出したら、やっぱり彼は笑っていた。清潔なインナーを頭から被っているから声はくぐもっているけれど、確かに笑っている。
「貴方が大人になる前に、俺が貴方を縛ってしまったからね」
「…あんたが言うとやらしい」
「御期待に応えましょうか?」
「やめとく」
 今日の所は。そう言ってクッションを放り投げたら、コンラッドは何の含みも無さそうに「そうですか」と返し、クッションを易々受け止めた。
「そうそう、こんな話を侍女から聞きました。俺達は、月も隠れると言われているようですよ」
「月も隠れる?何それ」
「俺と貴方の夜は濃厚過ぎて、月も恥じらい姿を隠す、と」
 おれは声を出して笑った。誰が知ってるって言うんだよ。噂元は何となく予想が付く。きっとおれ達の親友のどちらかだ。
「いつまでもお熱くいらして下さいね、と言われると、流石に照れるものですね」
「いつまでもか、ハードル高い事言うね」
「え、厳しいですか?」
「寧ろ、どうして厳しくないのか訊きたい」
 コンラッドはクッションを小脇に抱えたまま、おれの隣へと落ち着いた。自然と触れた肩に凭れる。最適な頭の置き場所に一発でフィットした。
「確証はありませんが、いつまでも貴方と居たいと思えるからかな」
「この顔をこれから先も見ていたいって?」
「ええ」
 この男も中々に末期らしい。百何年も見てきた顔を未だに見たいなんて、マニアでも難しいんじゃないだろうか。でも、まあそれもお互い様だ。おれだけじゃなくてほっとした…。
「良いですか?一緒にいても」
「…あんた、おれが嫌だっ答える事、端から考えてないだろ」
「自信が付くくらいには、貴方に愛されてきたので」
 おれに関する事ではヘタレでしかない男にしては、良い答えだ。満足げに頷くと、彼は御褒美を強請るようにキスをせがんできた。仕方ないなとポーズをするのを忘れずに唇を寄せる。
 コンラッドは意地悪にもわざと音を立てて離れた。そんな些細な音がいつまでも耳に残るのだと知っていて、また重ねたくなるように仕向けられる。そうやって上手におれを操作していたのかもしれない。恋人としての長い間。
 いつの間にか百年が過ぎてしまうように、多分、これからもそうやって彼と年月を重ねていくのだと思う。
 またふと気付いた時、「おれも歳を取るわけだ」と笑えれば良い。この男がおれの傍に居ると言う限り、それは実現するだろうから。


w:091212-14

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