「レイトショーあるみたいだ」
恋人は握っている三本の指先に少しだけ力を込めてそう言った。
目の前の電光掲示板に記された時刻の一番端を見る。本日の最終上映だ。日付が変わってもう二時間になるか。
「この時間だと、ミッドナイトショーっていうんですよ」
そっか、という気の無い返事に苦笑を漏らす。しかし彼はそんな事などお構いなしに手を引いた。
「見るんですか?」
「そ。終電逃しちゃったし、ホテル行く気分じゃないから」
そうはっきりと言われてしまうと誘う事も出来ない。他に行く所なんて思い付きもしなかったから、引かれるに従った。
未だ解読が難しい日本語は、早々に読むのを諦めて彼に任せる。この時間にも関わらず、幾つもの作品が上映中らしい。彼はもう片方の手を顎に添えて唸っている。
「コンラッドは何が見たい?」
「そうですね、洋画で日本語の字幕があるものが良いです。勉強にもなるし」
正直な所、何でも良い。だが、そう答えると機嫌を損ねる事も予測出来たので、用意していた言葉を返した。
ユーリもそんな考えお見通しなのだろうが、少なからず意見を言ったので見逃してくれたらしい。
後は相談も無くユーリは窓口へと進み、戻ってきた時には「シアター4ね」と告げてきた。再び人目も気にせず指先を握る彼は、映画が何かなど口にしない。意味が無い事だと思ったのだろう。
メインロビーにはちらほら恋人達の姿があるが、皆がそれぞれ夢中になっているのだろう、同性同士で薄暗い柱の影に立っていても誰も気にも留めない。何の前触れもなく背伸びをしてきた恋人が唇を奪いに来たのも、そんな夜の寂しさ故に大胆になったからかもしれない。
中央の比較的後方の位置に並んで座った。シートに体が沈む感覚が気持ち良い。券をもぎる時にだけ握った指が離れたが、またすぐに繋がり、今もそのままだ。
周りとしている事は何も変わらないのに、如何しても違和感がある。この地球で性別とはそれ程に大きなものだっただろうか。虚しさとはまた違う空白が胸に出来て、そこを埋める為に肩を引き寄せたのに、冷たい風が吹き抜ける。
ことん、と肩の上に落ちてきた頭に頬を寄せれば、黒髪がはらりと流れた。
上映予告や上映中の注意事項が流れている間、彼は何の身動きもしなかった。眠っているのかとさえ思ったくらいだ。
だが、本編が始まったと同時に頭を起こし、指を握っていた手が俺の手の甲に重ねるようにして置かれた事で、その疑問は消えた。
上映が始まってから三十分近く経って、漸く映画の概要が理解出来た。半券に書かれた文字を読んでも何かまでは把握出来なかったのだが、主役と思われる白人男性が「これは戦争だ」と叫んだのだ。
ちらりと恋人を伺い見るが、大した反応は無い。重ねられている掌の温度も変わらなかった。
俺は下に表示される日本語など見ようともしないで、脳に直接訴えかけるような3Dサウンドばかりを聴いていた。あちらの世界では未だ開発されていないにしろ、いつ作り出されるか分からない兵器を見て目を細める。
映像の悲惨さはリアルに遠く及ばない。火薬を使う行為は剣よりもよっぽど楽で、加害者意識を低くさせていた。殺しを軽視してしまうのは罪悪感が減ったからだろう。
…気付けば、俺の手の甲には爪が食い込んでいた。
彼はこの映画がどういった内容のものかなど、見る前から知っていたに違いない。表情からはやはり何も読み取れはしないが、耐えているのだと思う。
無意識でも何でも、当たる相手が俺だと云うのならそれで良い。多少の傷が出来ようと、それで済むのなら安いものだ。彼の内側に刻まれる傷は深いのだから少しくらい分けて貰わないといけない。
二時間弱の本編が終わり、エンドロールが流れると同時に俺達は席を立った。英語の羅列を眺める趣味はどちらも持っていなかったからだ。
入場時とは逆に俺が彼を引っ張るようにシアター4を出て、明るいエントランスホールまで辿り着く。
橙色の照明の下で俺の手の甲に付いた傷に気付いた彼は、彼自身の掌を見て苦笑した。爪を立てた後に再び重ねていたせいで、掌に俺の血液が付着してしまったらしい。
「ごめん。痛かっただろ」
「いいえ」
ユーリはその掌を、舐めるのとはまた違う仕草で唇に乗せた。既に乾いているからルージュのようにはならないが、何処か神聖に見えるから不思議だ。
「なあコンラッド、あんなの要らないだろ?」
関係が不良好のまま膠着状態になっている国が、新たな兵器の開発を始めていると情報が入ったのは半年程前だっただろうか。
それ以来悩んでいるのも知っていた。何せ彼の産まれた地球では既にその開発方法が存在しているのだから。備えだと云う理由で用意する事は他の国よりも簡単だ。
そしてこの答えは安易には出せるものでは無い。非戦争主義である彼だ、持ちたくないと考えるのが当然である。だが、戦力放棄と非戦争主義はイコールでは無い。
「魔王に成り立ての頃も悩んだっけ」
魔剣モルギフの噂で納まっている間は良かった。そういった実際見た事も無い物を恐れてくれるのならば。
けれど、魔族を知ってしまった人間達には、もう脅威にはならない。もっと明確なもので無ければ…。けれども、そうしたら代わりの兵器が生み出される。悪循環も良い所だ。
「世界にとって不要な物ですね。だけど…」
けれど何処かの国がひとつでも所持してしまえば…そうは言っていられなくなる。
「一番優しい貴方だから、所持すべきだとは思います」
使わない前提だとしても製作に関わる費用、人員はかかる。元々が兵力の拡大を嫌がる人だ。ユーリは頭が痛いと言わんばかりに額を押さえている。
結局フィクションの一本や二本見た所で答えは出やしない。よっぽど心を痛めていたのだろう、藁にも縋る想いで俺の意見を聴くのだから。
「こんな気持ちになるんなら、さっさとホテルに行っておけば良かった」
「それとも熱いラブロマンスでも観れば良かった?」
「そうじゃなくって、あんたに抱かれたいって言ってんだ」
少しだけ驚いて、直ぐに笑みを零して時間を確認する。直球な言葉に眠気も綺麗に消え去った。
「始発ももうすぐ動き出すから、俺の部屋に行きましょう」
朝陽は未だ姿を見せないが、部屋に戻る事にはきっと、眩しいからと隙間を作らないようにカーテンを閉めるのだろう。
…俺は血で汚れた彼の手を取り、絡めて繋いだ。
w:09.12.19-20
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