髪にキス - row様


「流石にまったく同じ体型を維持できている訳ではありませんから」
 
 護衛は仕立て直したばかりの白の礼服を身に着けながら、苦笑交じりの視線を主に目を向けた。鏡越しに見える主は丸めた背中に長い黒髪を垂らし、抱え込んだ膝にあごを乗せ暖炉の前にうずくまっている。

「ウソばっかり」

 窓の外の雪はもう止んでいるが、暖炉に火の入った室内であっても、壁際や窓の近くの暗がりは既に冬の気配に侵食されている。刺さるような冷気がひっそりと立ち込めて、焚かれた火の守護から外れれば身震いする程に部屋は寒い。その部屋がこれからもっと冷える。暖炉に向けた顔とは逆に冷めてゆく背中を、抱きしめて暖めてくれる筈の、部屋の主である護衛はしばらく戻らない。

 ユーリが拗ねているのはこれからコンラッドが出なければならない夜会があるからだ。「陛下の護衛が本分ですので」などと涼しい顔で、華やかな場を回避し続ける息子に業をにやした母親は、己の誕生日にはどんな手を使ってでも召集をかけた。ちなみに誕生日に血盟城に不在だった場合でも、その年の分をこなしていなければ、先日の代替で、という名目で夜会が催される。たいては後日改めてであるが、ツェリの予定次第では誕生日前にそれは強行され、今回はそれに当たる。

 長男と三男が呼ばれるのも当然ではあるが、『元はと言えばアレが全てを断るせいだろう』やら『アイツの残り分が全部こちらに回ってきたぞ!』などと。寄せられる苦情に生返事をした事を思い出し、ユーリは口を尖らせた。その場限りなら問題ないが、あとで相手側から必ず何がしかの下心を持った接触を受けるであろう夜会のエスコートに『華やかな姿を見たいから』などと言う理由で、その気のない息子達をあてがう母の気持ちは自分には判らない。あとはまあ……自分と言う相手が居るのを理由にコンラッドが断るのが悪いのか? と逆に問いただしたい気持ちもある。余分に負荷をかけられているらしい兄弟二人にそれは言わないが。

『陛下とコンラートの事は皆知っておりますもの、万一知らない他国の方があの子を見初めたとしても、お断りすれば良いだけのことですわ、ご心配には及びません陛下』

 などとにっこり微笑まれると、そのお断り自体が面倒なのですが、と言う苦情申し立ての声も尻すぼみになる。品定めされる場所に送り出すのが嫌なのだと言っても、それを喜びと感じるツェリにはおそらく判るまい。実際に来た申し入れは不機嫌になるので、数える前に自分の前から持ち去られたが、いちいち聞くのも面倒なので聞かなかった。そういえばあの時はユーリの不機嫌とは反対に護衛が楽しげだったので無駄な喧嘩をするところだった。双黒の片割れ、親友でもある大賢者に、君たちは今更そんな事言うまでもないだろういい加減惚気るのも止めてくれ、と、呆れられた理由は単純でただの惚気である。曰く『ユーリが嫉妬してくれて嬉しかったんです』だ。確かにいい加減にして欲しい。そんなのはいつもの事だと言うのに。

 君たちがいれば血盟城は冬でも暖炉に火は入れなくてもいいんだろうね、と、投げられた言葉の皮肉めいた響きは丸ごと無視して、蕩けそうな笑みを傍らのユーリに(会話相手の大賢者にではなく)向けて浮べて、同意した護衛と、しまいには血盟城の雪も溶けるよ、雪崩でも起きたら事だろう、などと諭されて、え、俺何か魔力とか放出しちゃってる? と、もたれ掛かっていた護衛の肩から身を起しながら(こちらは大賢者に向けて)真顔で聞き返した自分は、似たもの同士でお似合いなのだそうだ。うんざりした声で言われはしたが、一応褒めているからね、と付け加えられたので、褒められたという事に一応しておく。違う名前で生き物を皇帝に献上した故事に由来する、尤も普及している俗説に隠れた動物を、仲間扱いで横に並べられた気もするが。
 いっそ結婚までしてしまえばいいのかもしれないと思ったのも幾度目の事か、手続きの煩雑さと準備の期間が、現在進行形で画策中の国政の進捗に邪魔になりかねないと判断して、その選択は二人で止めた。止めたけれどもずっと共に在る誓いは最初の頃にしており、ふたりの関係には何も問題はない。ないのだが。だがこんな時にはそうしてこなかった事が裏目に出る。とばっちりを受けているのは自分も同じなのに。迷惑である、と強く主張したいし、する権利が己にもある。だから、
 
「なに、わざわざ作り直したんだ? その服」

 言いがかりでしかない言葉をうっかりと気付いた時には吐き捨てていた。行きたくも無い夜会に行かなければならない相手に八つ当たりして、久しぶりに見た礼服からも目を背けて。困ったような瞳を見たくなくて、転がっていたクッションを体育すわりの膝に抱き込み顔を埋める。付け上がるのでいちいち告げないがいまだに、初めて会った頃から変らず星の散る瞳を見るたび胸がときめく。そうして初めて見たときからこちらも又ずっと、白の礼服はユーリの一番のお気に入りだ。こう言うとまた大賢者が以下同文のお小言をくれそうだが、正直言って本当に本気でユーリは、コンラッドを独占したい。

 互いの気持ちが通じ合い、最初は秘密裏に、そうして大騒ぎと共に公になった関係は、変らぬままの強さで、更に強固になって今日に至る。あれからどれだけ時間が経ったか数えるのも面倒なほどなのに未だに、昔、笑い混じりに彼の幼馴染から聞かされた艶話が記憶にあるから、と言う訳でもないだろうにコンラッドを、出来れば他の誰にも見せたくない。一日の大半を共に過ごすとは言え、公の時間、自分は魔王で国と民のものだ。私的にくつろげる時間など、公務をさぼらない限りは、微々たるものだ。そうして無能な地位だけの王になる事などユーリの辞書には存在しないので、畢竟、仕事が優先される。

 だからいつも彼が足りない。いやいつもではない。いつもならばその状態こそが満足できるバランスだ。ただ違うことが起きると容易く動揺する。例えばこんな今の様な時がまさにそれだ。少しのプライベートで満足していたので、その少しを取り上げられると動揺する。たまに、でしかない事なのだからと、理性が納得して判断するのに感情がそれを拒絶する。そしてその感情自体も制御できない己を少し苦笑いしながら見守っている。

 ……そう、見る分にはいい。遠巻きにあこがれられるだけならば。なれなれしく近寄って触れて来たりしないならば。届いたばかりの新しい礼服に身を包んで光り輝くような彼に、誰も触れて、笑いかけ、腕に寄り添ってしなだれかかる、そんな事が無いというならば。

 そんなに心配なら自分も出席して目を光らせていればいい話だが、それでは護衛は自由に動けない。護衛の分をわきまえ過ぎると彼はユーリの側からまったく動かなくなる。ユーリは夜会の間、護衛を自由にするために、招待されている夜会への出席を見送った。(勿論泣かんばかりに懇願されたが、贈り物はしたし、別途に小さく祝いの席を設けて静かに祝うという事で折り合いを付けた)ツェリ様の為に行ってこいよ孝行息子、などと言いながら機嫌を悪くしている自分にもうんざりする。
 
 軽薄にもてはやされる護衛は見たくないが、憧れの眼差しで見つめられている護衛を見るのは悪くない。けれどどこかの誰かを胸に抱いて美しい一対で踊る姿は見たくない。でも格好良いダンスなら見たい。誰かユーリが不快にならない、しっかりした女性が踊ってくれるのならば一番良いのだが、そんな相手は中々居ない上に、その場に居たとしても護衛にいちいち救いの手を差し延べてはくれない。夜会の度に苦行を強いられているユーリはこれから数時間のうちに起きる状況を想像してがっくりとうなだれた。じりじりするような焦燥。見えない誰かへの無意味な嫉妬。ああ、無意味な事は判っているのだ! 判っているのだが。

「ユーリ」

 あまい、声で機嫌を取る。困ったような顔の護衛も主を置いていくのが心を裂かれるように辛い。(たかが数時間のことだろう! と大賢者が以下同文)母には済まないが夜会など自分の知らないところで皆で好きなだけやればいと、溜息をつきながら本気で思う。それで薄情だと言われるならば構わない。一人にだけ想ってもらえるならば他にはなにも要らない。

 拗ねながらもチラチラと、こちらを見やる主に、この礼服の俺はユーリにだけ見てもらえればそれでいいよと呟けば、俺もそう思うよ、と拗ねるのを止めて素直になった主は、頬を赤らめながら少しだけはにかんだ。

「俺が行ってこいって言ったくせに、子供みたいに拗ねててごめんな」

 ぽつりと呟く恋人に、膝をついた傍ら、留守の宿直を任せた暖かな暖炉の前で、

「俺も行きたくないと本気で思っていて大人げなくてすみません」

 すくい上げた黒髪の先に、護衛はそっとくちづけた。


(2009.12.24)



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