手を繋ぐ - クラウン様


「手を繋いでも、いいですか?」
「はあ?」
 コンラッドの問いに、思わず間抜けな返事をしてしまう。あまりに唐突な話だ。
 幼稚園児じゃあるまいし、おてて繋いで歩くなんていい年した男同士がする行為じゃない。ましてや手を繋ぐどころか、おれは寝台に横たわっている。彼は小さな丸椅子に腰掛けているからいいとして。
 柔らかすぎる枕に半分顔を埋めていたおれは、自分と彼が手を繋いだ場面をイメージしてみた。
 なんだよ、この最期を看取るみたいなシチュエーション! おれがおじいちゃんみたいじゃないか。思わずむくれると彼は首を傾げ、その理由を伝えたら小さく肩を揺らした。年齢的には逆だろ、くらい付け足しておけばよかった。
 普段なら反感を覚える場面だろうけど、そんな反応が嬉しいと思った。こんな風に翳のない笑みを見せる彼を、随分久しぶりに見たからだろう。
 水上都市ダルコで脱獄を果たしたおれ達は、現在、小さな宿に身を寄せている。眞魔国への帰還のための船の用意にはもう少し時間が掛かるそうだ。
 早々におれと村田とグウェンダルとコンラッドの四人は顔をつき合せて話し合う予定だった。実は先々代の魔王陛下であることが判明したシュヴァリエからも話を聞かせてもらう筈だった。
 話さなければいけない事といったら至極真面目なことで、脳筋族を自負するおれとしてはできるなら避けたい、魔王陛下のおれとしてはどうしても話しておかなくてはならない重要案件だった。
 過去形が続くのには理由がある。
 ようやく宿に落ち着いて、話し合いのゴングが鳴ると思ったら、彼らはおれを寝台に押し込んで寝てろという。なんだよ、いきなり。
 おれだけ除け者かよと抗議をしたところ、難しげな顔をした村田に議論は後日延期になったと言われた。あいつはそのままなにやら買出しに出かけると言って、グウェンダルとシュヴァリエを引き連れて行った。どんだけ重いものを買うつもりなんだ。
 挙句の果てに病人の付き添いとばかりに残されたのが、コンラッドだ。看護人にはとても見えない。この面子で看病が似合いそうな奴なんていないけどさ。大体、おれだって病人って柄じゃないし。
 コンラッドは湿した布で、かいがいしくおれの顔を拭う。ものすごく慎重な手つきだ。意外と向いてるかもしれない。
「痛くないですか」
「平気だよ」
 彼の方が痛いような顔をしていて、おかしくなった。
 看病なんて慣れていないだろうと思っていた大きな手は、おれよりずっと器用に顔を拭った後、指先で髪を梳いた。ああ、そういえば随分昔に、弟の面倒を見ていたって言ってたっけ。
 このままだとさっきの発言はなかったことになるんだろうか。どういう意味だったんだろ。あれ、もしかしておれが黙殺したことになるのかな。
 そう思っていた矢先に、彼が言葉を継ぐ。
「本当は、あの時に手を取りたかった。あなたの手を」
「あの時って――」
「大シマロンで」
 おれが問う前に続いた短い言葉は、それだけで彼の真意を伝えるのに十分だった。急速に心があの絶望の日に舞い戻り、おれはぶるりと身体を震わせた。
 人間の土地を治めている大国で、雪が降りしきる中、かつてない敗北感を味わった時のことだ。おれが差し出した手を、彼が明確に拒絶した時。記憶があまりに鮮明に蘇って、思わず目の前の男をぶん殴りたくなった。客観的に考えて、そのくらいは許されると思う。
 制止を振り切って半身を起こした。くらりと眩暈がする。思ったより疲れているのかもしれない。コンラッドは、咄嗟におれの背中に腕を廻して肩を支えた。少しだけ身体が軽くなる。
 その分だけ、握った拳に込めている力が風船みたいにしぼんで小さくなった。おれは胸元まで持ち上げていた手を下ろした。
「ユーリ、もう少し休んでいて」
「最悪だよ」
「すみません」
 おれの言葉に、彼は刹那傷ついた顔をした。こちらに向けていた眼差しを伏せて、全てを受け止める諦観の表情になる。そんな顔が見たいわけじゃない。
 聞きたいことはたくさんある。なぜとか、どうしてとか。おれの魔王様っていう身分から質さなければいけないこともあるし、他人から見たらものすごく些細でありおれ個人としては何より重要なこともある。数え切れないほど、たくさん。
 だけど、いざ彼を前にすると、全然言葉が出てこない。
 違う。あんたを問い詰めたいわけじゃないんだ。
「うん、最低最悪だった。あの時はね。でも、今は雪なんて降っていないし、なによりあんたがここにいる」
 真っ直ぐに見つめながらそう告げると、コンラッドはどういう意味ですか、という顔でおれを見返す。
 どうせおれの頭なんて単純にできていて、これだけでいいんだ。この事実だけでいい。
 肩をやんわりと押さえる腕と、身体を気遣う抗議の声を無視して、寝台から床に足を下ろした。裸足の裏に敷き布の感触。
 しっかりと足を踏みしめて彼の傍らに立ち、今度は負けないという確信と共に掌を差し出しす。あの時と同じように。
 薄茶色の瞳が中空を彷徨ってから、窺うようにおずおずとおれを見上げる。こことは違う異国の地での毅然とした態度とはまるで違う。
 重い剣を軽々と扱う無骨な手が、生まれたばかりの子猫を撫でる時のように躊躇っている。あんたのお兄ちゃんじゃあるまいし。
 大体なんだよ、あんたが言い出したくせにさ。
 痺れを切らしたおれは、もう一度だけ聞きたかった言葉を促した。
「あんたの居場所はどこ?」
 ガタンと派手な音を立てて、丸椅子が倒れた。
 彼は反射よりも素早く立ち上がり、おれの手を掴んだまま引いて抱き寄せる。息が詰まるほど強く。後によろめく間もなかった。
 懐かしい感触。握られた右手は温かくて、背中に感じる力強い左手も同じ温度だった。
「ここです」
 おれにだけ聞こえる微かな囁きと共に、耳を吐息がくすぐる。
 厚い胸板に額を預けたまま頷いた。きっと彼が呆れるくらい、嬉しい顔をしているに違いない。
「よし」
 おれはやっと、取り戻したんだ。

 その後。頃合を見計らったように戻ってきた村田達御一行の声がドアの向こうから聞こえて、おれとコンラッドはものすごく慌てた。
 軽く軋む音と共に、安普請の扉が開く。
「一体、きみ達はなにをしていたんだい?」
 長く重い沈黙の後、村田は深い溜息をついた。刃のように鋭利な詰問口調が耳に痛い。
 その後ろには、グウェンダルの苦りきった顔と、ほのぼのとした微笑を湛えるシュヴァリエの顔がある。
 ごわつく布の感触を背中に感じながら、コンラッドの肩越しに仰いだ友人の顔は、見るからに呆れ果てている。おれは乾いた笑いを漏らした。
「えーと、ヨガ?」
 まさか、かつておれ自身が衝撃を受けた彼の裏技を、異国の地で使う羽目になるとは思ってもいなかった。


(2010.01.14)


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