727戦全敗、勝率0パーセント。それが俺の戦績だ。
それは何かと云うと、俺がユーリへアタックした回数。つまり、好きだと全身で伝えているのに全く振りむいて貰えていないのだ。この何十年間でただの一度も。
つい先程も、その727敗目を獲得してきてしまった所。
普段のように朝起こしに寝室へと入り、ふと魔が差したと云うか何と云うか…引き寄せられるようにして瞼を下ろしているユーリに覆い被さってしまった。体重をかけないように四肢を広げ、寝顔を見下ろす。呪いでもかかっているお姫様だったならキスして感謝をされるのに、我が身には不敬罪が圧しかかるなんて理不尽だ。
いっそ罪に問われても気持ちに気付いてくれるのならばと、俺はゆっくり唇を寄せていった。言い訳をするなら、薄く開かれた唇が扇情的過ぎたのだ。
そしてそれが触れる直前、ぱちり、と瞬きをして彼が目を覚ましてしまった。俺の心臓は止まりかけ、体は飛び退く事も出来ずに石のように固まった。暫し無言で目が合う。
罵りの言葉が脳裏に渦巻き、唇も奪えないままに左遷かなどと嘆いていたのだが、当のユーリは現状を理解すると溜息一つ落として、
「何だ、コンラッドか」
そう言ったのだ。
「何だ、コンラッドか」と云う言葉は、全く男として眼中に無いと言われたも同然では無いか。俺は石化を解くなり寝台から降りて、引き攣る口許を隠しながら悠然と朝の挨拶をした。
正直この727戦中最もショックを受けた発言だ。今迄は後ろから抱きつけば「子供じゃ無いんだから」、手の甲に口付ければ「そういうの好きじゃない」。腹や胸に直接触れた時はやり過ぎたかと思ったが、彼は大声を上げて笑い転げただけだった。
脈が無さ過ぎだ!厄介に思っていた浮名は誤りだったのではないか!?
何十年もこの調子だとは思ってもみなかったのだ。初めは無碍にされても、直ぐに落ちるとさえ考えていた。それがどうだ、第一戦目と何ら変わりないこの対応は。きっと下着を脱がされても危機を察してはくれないだろう。
落としそうになる膝を叱咤して廊下を歩いた。お茶の用意を持って、魔王陛下の執務室へと向かっているのだ。
「休憩に致しましょうか」
ワゴンを押して入り、本日のデザートをチラ見せすれば、熱心過ぎる程書類に向かっていた陛下も顔を上げる。「あと二枚」と機嫌良く応えた彼の声を聞き、グウェンダルや文官達は休憩に入る準備を始めた。デザート皿を人数分テーブルに並べていき、紅茶を注ぎ終わる頃には皆手を止めているだろう。
「お前が盛り付けたのか」
早々にテーブルへとやってきた弟に頷くと溜息を返してきた。何か?と首を傾げながらヴォルフラムの分の皿を彼の前に持っていく。フォークを握った彼はずぶりとタルトを刺した。
「何でも無い。見え見えの下心に辟易しただけだ」
いつの頃からか、ヴォルフラムはユーリに婚約者として接する事が無くなっていた。俺の分かり易過ぎるモーションに酷く呆れた表情をしながら「やってられない」と言うくらいだ。
今回の見え見えの下心とやらは、奥に特別に用意しているユーリ用の皿の事だろう。彼が以前好きだと言っていた食器を使い、その上にチョコレートで俺と彼しか読めない文字描いた。英語を崩して愛の言葉を綴ったのだが、読めない筈のヴォルフラムが如何して下心だと分かったのだろうか。すると彼は目も合わせずに「以前お前がユーリに送っていたラブレターの中身と同じ文字列だ」と返って来た。ユーリが読んでもくれなかったラブレターの中身を、どうして弟が知っているのだろう。
「ふぅーつっかれたー」
肩を回しながら机から離れてきたユーリの前に例の皿を置き、深めのダージリンを渡すと、彼は丁度良い温度に冷ましたカップを一気に喉へ流し込んだ。おかわりと言いたげに出されるカップに新しく注ぐ。
心なしかヴォルフラムの目もユーリの皿に向いている。どう反応するかを観察しているようだ。728戦目の開始のゴングを打ち鳴らす音を聴いた。
「今日は何?」
「ムース・オ・フランボワーズとトルトレット・オ・シトロンになりますね」
「それ、前おれが地球から持ち込んだお土産の名前じゃん」
地球菓子の名称をそのまま頂いてしまったデザートに苦笑しながら、ユーリは添えられた果物に真っ先に手を付けた。フォークで刺して口に入れるだけなのだが、その一連の動作を一巡しただけで皿に描かれたラブレターは見る影も無くなっている。
「ん?如何したんだ?」
俺とヴォルフラムの表情の変化には気付いたらしい主は、ムースを掬いながら不思議そうに笑った。
「…何て書いてあったんだ?」
気の毒そうに肩を叩いた弟に、小声で“I love you. Come on, make love to me.”と呟く。
「眞魔国語で言え」
「……愛しています。貴方を抱きたい」
あちゃー…と額を押さえる弟は、口元が確かに笑っていた。
728敗だ。三桁に入った時から危ういと思っていたが、四桁の入口が見えている。
作戦を練らねばと過去の失敗を思い出すが、どれもこれも、如何して駄目だったのか敗因が今一つ分からなかった。
ある時はお姫様だっこをし、ある時は指を舐め、ある時は耳に舌まで入れた。けれど駄目だった。全く気付いて貰えない。
少し酒に酔って首筋にキスマークを付けた日は「この馬鹿!色魔!などと顔を真っ赤にして怒られたが、酔っ払いの仕出かした事だと自己完結されてしまった。
もうどうすれば良いのだと発狂したい気分に陥る。俺は自室の寝台の上で転がった。作戦会議はいつも寝室になっている。ピンク色な発想が多いのはそのせいかもしれない。
やはり下着を剥ぎ取り、強引にでも手籠めにしてしまおうかと物騒な事を考え始めていた時、あまり使われる事の無いノッカーが打ち鳴らされた。
「コンラッドーいるー?」
再びガンガンと鳴らされるノッカーの音は、闘いのゴングだった。
慌てて寝台から飛び起き、入口を開け迎え入れる。彼は寝間着で枕を持って来ている。…泊まる気だ。先程の物騒な考えは出来るだけ脳から追い出す努力を始めた。
「たまには男同士で夜を過ごさない?」
「…女子会みたいですねぇ」
じゃあ男子会だ、と華の無い言葉を返された。貴族の着用するネグリジェでは無いが、この国の寝間着を纏った彼はネグリジェなどより数倍やらしいと思うのは俺だけだろうか。ゆったりとした黒布は体のラインを見せないが、神秘さが増していて恐ろしいくらいの美しさだ。俺が連敗している間にどんどん美に磨きがかかっていく…きっと1000敗する頃には歯牙にもかけては貰えなくなるのではないだろうか。大きく肩を落とす。
「それで如何したんです?突然」
「んー。最近あんたへサービスしてないなーって。上司の労わりってやつ?」
サービス?夜間に何をサービスしに来たと云うのだろうか。打ち鳴る心臓を覚られない為に表情はいつも以上に気を使って穏やかにした。
「ほぉら、横になれよ」
枕を持ってずんずん寝室まで入りこんだ彼は、ついに俺を寝台の上に倒した。しかもうつ伏せに。
「え?ゆ、ユーリ?」
まさか服を剥かれるのではと青褪めつつ、それでも最終的にひっくり返せば良いかなどと打算している自分に気付く。いや、そうではないだろう!
「気持ちよくしてやるから」
耳元で囁かれたのは初めてだ。少し低くなった声が脳に突き抜ける。嗚呼、大きくなって。
「や、優しくして下さいね?」
「おう!」
その言葉を信じて瞳を閉じる。その瞬間、肩甲骨に多大な痛みが走るのだった。
「ごめんごめん。絶対凝ってるだろうなーと思ってさー」
そう軽く笑いながら謝罪する彼は悪びれた様子がこれっぽっちも無い。俺は骨だけでなく筋も痛めたかもしれない体を擦りながら彼と寝台の上で向き合っていた。
「いえ…お気遣い嬉しいです。お礼にユーリにもやって差し上げましょうか?」
実は他意無く口にしたのだが、言った後でベッドの上で触り放題だと思った事は隠しておく。
「良いの?!あんた上手いもんなー」
「光栄です」
自らうつ伏せになったユーリの背中に両手を当てて、徐々に力をこめて圧していく。机仕事がメインの彼は如何しても猫背になる傾向があるから、腰と背骨を中心に。
「ああーきもちー…コンラッド、肩とか首もよろしくー…」
腰から肩までを解して行くまでに、何度鼻にかかった声を聴いただろう。圧す度に「ん」と漏らされてはこっちの理性を総動員しても間に合わなくなってくる。
「はい、起こして下さい」
「んー」
胡坐をかいて背中を向ける彼の肩を掴み、首へと親指を当てる。執務中何度も辛そうに回しているのを見ていたから丹念に。
「此処?」
「んっ…気持ちい」
やっぱりもう限界です。
俺は両腕を回しユーリを抱きこんだ。勢いで押し倒さなかったのは強靭な理性の功績に違い無い。ユーリはいつものじゃれ合いだと思っているのだろうクツクツ笑っている。
「ねぇユーリ…」
耳に息を吹きかけながら声をかける。彼の顔は体勢故に見えないが、緊張のきの字もしていなさそうだ。
それでも、この729戦目は落とせない。如何してか、そう思った。
回した腕に少しだけ力を込めて、熱っぽく囁きかけるしか武器は無い。軽く息を吸う。
「貴方が好きなんです」
何の捻りも無い言葉が滑り落ちた。これではまた「おれもだよ名付け親」と、かわされてしまうだろう。729連敗の予感に冷や汗が流れた。
ユーリは身を捩り俺の方へと顔を向けると、盛大に溜息を吐く。そして口の端を上げて、意地が悪そうに笑った。
「セクハラばっかりしてないで、さっさと言えば良かったんだよ、名付け親」
write:10.01.13
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