血盟城の広い敷地の片隅に、温室があった。ガラス張りのドームは冬でも雪雲の合間の僅かな陽射しを受けて温かい。
花の少ない季節、それでも城内…主に魔王の部屋を飾るためにと花々を育てるそこは、一度案内した後に魔王陛下自身のお気に入りの場所となった。
曰く、人が来ないから、らしい。
事実、この場所へと訪れるのは庭師ぐらいだ。その庭師も、魔王陛下の僅かな休憩時間を邪魔することなど出来るはずがなく、魔王陛下がやってくるのと入れ違いに出て行った。
「庭師のおじさんには申し訳ないとは思うんだけどさ。こう雪ばっかりじゃキャッチボールも無理だろ?」
「ええ、そうですね」
寒い地方にあるこの国は、冬は雪が解けない。キャッチボールなど出来るはずもなく、雪遊びにも飽きてしまえば、残るは休憩時間という言葉どおりに身体を休めるのみだ。
自室にいてさえ婚約者に追い掛け回される。ならばと、俺の部屋を提供したが同じことだった。城内のあちこちを移動してみたが、結局のところ人目を避けることは叶わず。人の良い魔王陛下は誰からも慕われ、声をかけられる度に柔らかな笑顔で相手をするのだ。
それが嫌なわけではないけれど少しだけ休みたいと呟いた彼の沈んだ声は、そう思ってしまうことへの罪悪感を含んでいて、その優しい心根に心が温かくなる。
だから皆、彼が好きなのだ。俺も含めて。
「ここ、良いよな。静かで、綺麗で」
「ええ」
良い香りだと目を細める主の姿を見れば、庭師も喜ぶことだろう。
魔王が代わり、ここに植えられる花の種類も変わった。以前のような華やかさがなりを潜めた代わりに、優しい明るい雰囲気に包まれている。
「ホント、ヴォルフにはちょっと参ったぜ」
忙しい魔王にはあまり私的な時間がない。だからこそ、その少ない時間を共に過ごしたいという弟の気持ちは分かるが、同時に少ない時間だからこそゆっくりしたいという主の気持ちも分かる。
口に出すことが躊躇われたので、苦笑を返事に代えて。温室とはいえ身体が冷えぬようにと、彼の気に入りの青いひざ掛けをその膝へと乗せた。
「ゆっくりされるといいですよ。時間になりましたら、呼びに来ますね」
「え?」
きょとん、と瞬く彼を見て、自分は何か間違えただろうかと暫し見詰め合った。
「コンラッド、なんか仕事あるの?」
「いいえ」
自分の仕事は彼の護衛だ。彼がこの国にいるのに、他の仕事などあるはずがない。
「じゃあ、なんで?」
「お一人になりたいようでしたので」
俺の言葉に、彼は更に数度瞬きを繰り返し、ようやく理解したのか伸ばされた手が俺の服の袖を掴んだ。
「いや。一人になりたかったんじゃなくて、ゆっくりしたかったんだ」
そのまま引っ張る力は、それほど強くはなかったけれど拒めるものではなかった。逆らうことなく隣へと座らされながら、彼の言葉の意味を考える。
「お邪魔ではないですか?」
「あんたを邪魔だなんて思ったことないよ」
「ありがとうございます」
礼を言って笑みを浮かべると、照れたように視線が彷徨う様子が可愛らしい。顔を隠すように背を向けられるのを残念に思ったのは僅かな間で、やがて肩にもたれかかる重みを感じて目元が和らいだ。
「身体が痛くなりますよ」
「少しだけだから、大丈夫だ、ろ…」
語尾に欠伸が重なった。
会話が途切れると、温室が静寂に包まれた。ガラス一枚隔てた向こうでは、いつしかまた雪が静かに降り始めている。
だが、外界から遮られたここはとても暖かで穏やかだった。
「陛下?」
すーっと微かな寝息が聞こえてくる。少しだけ横に移動して距離をあけて、倒れ掛かってくる背を支えながらゆっくりと椅子に横たえさせた。
大腿の上には幼さを感じさせる寝顔。
「おやすみなさい、ユーリ」
共にいても休まるのだと、言葉だけではなく示してくれた人の髪を梳く。
少し躊躇ってから、顕にした額へと唇で触れた。
春まで。
この秘密の場所が見つからなければいいと、俺は思った。
(2010.01.17)
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