雷に怯える - okan様


 僅かな燭台だけが灯る薄暗い部屋の中、暖炉にくべられた薪がパチパチと音を立てて爆ぜている。ここしばらく、日本で言う「小春日和」が続き、眞魔国の冬の寒さに未だ慣れない有利にとって過ごしやすい日々が続いていたが、晩餐の頃から急に気温が下がり始め、今、大気は不安定に揺れ、集まりだした雲は月を隠してゴロゴロと低い音を立てている。

「雷・・・・?」

 気だるい身体にブランケット一枚だけを身に纏い、地鳴りにも似た低い響きに共鳴し、少し震えている窓に手を添えて、有利は熱の残る潤んだ瞳で窓の外を見やりながらポツリと呟いた。外気に冷やされた窓ガラスに惹かれるように、こつんと額をくっつけると、キンと痛い程に冷たい感触が火照った身体に心地良い。

「また気温が下がったのかなぁ?」

 暖炉の炎が揺らめき、剥き出しになった有利の透き通るような白い背中から腰のラインを、黒とオレンジのコントラストに染めて妖艶な影を作った。

「ええ、もうすぐ雪が降り出しますよ。それより、そんな姿のままで端近に居ては、風邪を引いてしまいます。」
「そうやって、すぐ子供扱いする。」

 ブランケットを胸元まで引き上げ、唇を尖らせる有利の白く浮かび上がった頬のラインは、青年と呼ぶには余りにもまろく、まだ幼さの残る柔らかな曲線を描いていた。その姿に、コンラートは双眸を細め、口元に楽しげな笑みを浮かべた。

「子供ではない事は、俺が一番よく知っているつもりですが?」
「あんたが言うと、その台詞、なんか凄っげえエロい。」
「それはありがとうございます。」
「・・・・バカ。」

   コンラートは、拗ねてそっぽを向いてしまった恋人に苦い笑いで溜息を付き、乱れた寝台から毛布を剥ぎ取る。それを手に寝台から起き上がり、へそを曲げた主の元へと歩き出した。
 その時、濡羽色の空に閃光が走り、一瞬、窓の外が真昼の様に明るくなる。同時に、バリバリバリバリッと大地を引き裂くような、凄まじい雷鳴が轟いた。

「―――ッ!」

 有利の背後の窓ガラスがビリビリと震え、有利は思わず両耳を塞いで声にならない悲鳴を上げた。

「大丈夫ですか?」

 少し笑いを含んだ優しい声と共に、長い腕が背中からスッと伸び、有利の背中にコンラートの胸が触れた。ふわふわと柔らかい毛布に包まれ、触れ合う素肌から優しい温もりが伝わる。

「びっくりしたぁ・・・。コンラッド、笑うなよ。ビビッたんじゃないぞ。いきなり凄い音がして、驚いただけなんだからな。」

 有利の言葉は決して大げさではなかったようで、心臓が大きく高鳴っているのが、胸元に回されたコンラートの腕にも伝わっていた。

「そうですね、突然でしたから。」

 慰めるように言ってはいるが、まだ笑っているのは、クツクツと揺れる胸の振動で背中から直接伝わってくる。首だけ回し、睨むように見上げると、銀の虹彩を浮かべた瞳はやはり優しく笑っていた。蝋燭の明かりが僅かに瞬き、それを照り返してコンラートの薄茶の髪がさらりと揺れる。

「すっかり冷えてしまって・・・、冷たくなってる。」

 優しく愛しげに抱きしめられ、有利の頬にコンラートの頬がそっと触れた。思っていたより暖かく感じるコンラートの頬に、有利は名付け親の言葉通り、自分の身体がかなり冷えてしまっている事に気付いた。有利は、その温かな頬に自らの頬を擦り寄せ、胸の前にある、剣胼胝のあるちょっと節った手にそっと触れた。ふわりとコンラートの香りが動き、有利の手はすぐに大きな掌で握り取られる。相変わらず過保護な男は、咎めるようにその冷たくなった指先を甘く食んだ。
 また遠くの空で閃光が青白く光り、街の一部を浮かび上がらせている。

「何でこんな時期に雷なんだろう?雷って夏とか秋のもんじゃないの?」
「この時期の雷は、雪起こしですよ。」
「雪起こし?」

 聞きなれない言葉に首をかしげる有利の横顔が、窓の外で小さく瞬いた閃光に照らされて白く浮かぶ。昼間の太陽のような無邪気さと違い、その姿は酷く扇情的で、コンラートはゾクリと背筋を震わせ、引き寄せられるかのように有利の目尻に唇を寄せた。

「そう、雪越し。雪が降る前に鳴る雷です。」
「そうか、だからあんた、さっきもうすぐ雪が降り出すって言ってたのか。」
「ええ。ほら、もう降ってきた。」

 コンラートに即され、窓の外を覗き込むと、窓の外をちらちらと横切る雪。

「少し吹雪くかもしれませんよ。」

 コンラートの言葉通り、ふわりふわりと降り出したかと思うと、雪はあっという間に勢いを増し、見渡す景色を白一色に塗り替えていくかの勢いで、城内の木々に降り積もっていく。

「これでは、明日のロードワークは無理かもしれませんね。」

 尖った顎が有利の肩に触れ、窓ガラスに置かれていた手が大きな掌に包まれる。有利の背中とコンラートの胸がぴったりと重なり、言葉と共に零れる吐息が頬に掛かった。頬から肩、背中へと、コンラートの体温をすぐ側に感じ、そこからゾワリと総毛立つような感覚が生まれる。それはジワジワと有利の全身に広がっていった。

「そんなに積もりそう?」

 覚えのあるその感覚を誤魔化すように、有利は身じろぎ言葉を紡ぐ。

「ええ、かなり。朝一番に雪掻きが必要でしょうね。」

 追いかけるように、コンラートの胸が、また有利の背中にピッタリと重なる。穏やかな声と裏腹に、脇腹をツーーッと滑る悪戯な指先。有利はピクッと身体を震わせる。どうやら背後の男は、誤魔化されてはくれないようだ。

「城下の人達は大丈夫かな?」
「大丈夫ですよ。城下には地下水を利用した消雪施設もありますし、流雪構や雪捨場も確保されてます。」

 この国に初めて来た時よりかなり伸び、艶を帯びた漆黒の髪を一房掬い、コンラートはそこに唇を寄せた。
 見下ろす城下は雪に包まれ白く霞んでいるが、その中でも民家の明かりは確かに灯り、人々が暮らす息遣いを伝えてくれる。

「全て、あなたが民の為になさったことだ。この国の民には、きっと明日も平穏な一日が訪れる。」

 言葉と共に、耳に熱い吐息が吹き込まれ、有利が折角はぐらかした感覚を、容赦なく引き戻してしまう。コンラートは有利をギュッと強い力で抱きしめ、鼻先で擽るように髪を掻き分けて首筋に顔を埋めた。唇が、項に触れる。

「だから、ユーリ。今は・・・・・、俺だけを見て。」

 熱い吐息と共に、切なげに呟かれた言葉。我侭を言わない男の、ささやかな願い。
 優しく包み込む腕をソッと緩め、有利はくるりと身体を反転させた。そのままコンラートの頬を両手で挟んで自分の方を向かせる。どこか不安げに揺れる瞳をしっかりと覗き込み、有利はゆっくりと幸せそうに微笑んだ。そして、黒曜石の瞳に、ただ一人映る、その男の唇にソッと口吻けた。
 腰に回された大きな手がゆっくりと動き、すぐに有利の身体はコンラートに引き寄せられ、互いの胸の温もりはぴったりと一つに溶け合った。


(2010.01.26)





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