すっかり疲れ果てた身体を、ユーリはカウチへと投げ出した。
「ユーリ、ほら。上着を脱いで」
穏やかに微笑を浮かべるコンラートが、脱げといいながらも本人に任せず黒衣のボタンを外しはじめる。くすぐったいと感じながら、疲れた心にそうした甘やかす行為は心地よくて、ユーリされるに任せて目を閉じた。
「眠るなら、ベッドに行きます?」
「まだいいよ」
上着に皺が寄らぬようにと畳んだコンラートが隣に座る。重みで軽く傾いた体をそのまま倒して、膝の上に頭を乗せた。
「お疲れですね」
「さすがになー。まぁ、仕方ないんだけど」
労わるように大きな手が髪を梳いていく。
「いつまでたっても、子ども扱いしやがって」
先ほど上着を脱がせる時といい、髪を撫でる仕草といい、出会って何十年とたっても変わらぬ子ども扱いがおかしくて、喉を鳴らしたユーリは身体の向きを変えて自分を覗き込む男を見上げた。
「ものすごい昔、たとえばウェイトレスのお姉さんとかが、すげー大人に見えたんだ」
唐突に始まった言葉に、コンラートは耳を傾けた。
「今思えば、ただのバイトだったのかもしれないんだよな。もしかしたら、高校生だったのかも」
高校生といえば、ユーリが魔王になったばかりの頃だ。コンラートから見れば、まだ危なっかしい子供で、けれど、まったくの子供としても見れなくてとても困った頃でもある。
「おれも高校生になって、さすがにウェイトレスさんが大人に見えることもなくなったけど。百歳魔族とか、たとえ見た目が少し上にしか見えなくても、ものすごい大人に見えちゃったわけなんだよ」
いつの間にか止まっていた手の動きを再開した。彼の黒髪は、とても艶やかで触り心地が良い。手に馴染む感触はコンラートの楽しみの一つだが、それはどうやらお互い様らしいと猫のように細められた目を見て嬉しくなる。
「実際に、俺はあなたの保護者でしたしね」
「そうそう。嫌味だなんて思う隙もないぐらい、完璧に何でもできる男に見えちゃったんだよな。うっかり、かっこいいなんてころっと騙されて」
「ひどいな」
騙したつもりなどない。ただ、彼の前では完璧な保護者でいたいと思ったのは事実だが。
互いに冗談だと分かっているせいか、言葉には笑みが含まれていて。コンラートはそれ以上言葉紡ぐことなく、続きを促した。
「ひどくないって。おれ、あの頃の自分に会えるなら絶対に言うもん。『おまえ、騙されてるぞ』って。キラッキラに見えたんだよ。あんたの目と一緒。あんたの全部が」
あの頃のユーリは、とても恥ずかしがり屋だったから。そんな風に見られていたのかと、聞くことの出来なかった言葉は新鮮だ。
「騙されたと思ってます?」
「うん」
恥ずかしがり屋の彼は大人になり、愛の言葉を囁いてくれるようになった代わりに少しだけ意地悪になった。
「後悔してます?」
「どうだろうな」
ゆるやかに、けれど確実に。歳を重ねて丸みが消えた頬も、伸びた髪も、彼の変化を伝えていたけれど。見上げてくる漆黒の瞳だけはどこも変わらないから、コンラートは素直ではない唇をそっと塞いだ。
「…ん」
悪戯をしかけるように、触れてきた唇を舌先で舐めた。じゃれあうようにして舌を絡める。
大人になりたいと思った。
好きになった相手がとても大人に見えたのだ。追いつきたいと思った。
キスもその先も覚えて、身体も成長して。出会った頃のコンラートの年齢になって気づいたことがある。
「百歳って、ぜんぜん大人じゃないよな」
「あなたに気づかれないように、必死だったんですよ」
過去形で語ってはいるが、もしかしたら今もそうなのかもしれないと思うと可笑しくてたまらない。
「コンラッド」
「はい」
「愛してるよ」
変わっていないようでいて、そうした言葉を口に出来るようになった自分は、やはりどこか大人になっているのだろうか。
愛を囁きながら、ユーリは自分もだと返事をよこす恋人の首へと腕を絡めた。
(2010.02.07)
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