慰める - ハヅキ


 四捨五入して170センチ。
 それは日本の高校一年生男子として決して低い数字じゃない。だが、できるならばあと10センチ、欲をいえばさらにもう5センチほどあればと思ってしまう。
 地球にいる頃からもう少し身長が欲しいとは思っていたが、こちらの世界に来てからその気持ちが強まり、最終目標が高く修正された気がする。
「どうしたんです、陛下?」
「陛下っていうなよ、名付け親」
「すみません、ユーリ」
 今日は、いつも仕事の進捗に目を光らせている怖い宰相も、手伝っているんだか邪魔しているんだか分からない王佐も朝から不在だった。
 自分に甘い護衛と二人だという気安さから、ついつい手が止まりがちになる。執務室は、のんびりとした空気で満ちていて、気付かぬうちに思考が目の前の書類の山から離れていく。
「それで、どうしたんです? ぼんやりして」
「んー」
 右斜め前方。壁にもたれかかる姿を視界にいれると、ため息をつきたくなった。
 護衛である彼が長身なのは軍人だからなのか、それとも体格が良いから軍人になったのか。だが、宰相も王佐も、お庭番も…揃いも揃って長身だから人種的なものなのかもしれない。それならば、魔族の血を半分ひいている自分だって、もっと身長があっていいはずだ。
 また一つ、新たなため息をこぼすユーリを見た護衛が、壁から背を離してゆっくりと近づいてきた。
 近づいた分だけその姿が大きくなる。座っているユーリは、彼の胸元にも満たない。立ち上がってみたって、差は縮まれど完璧にうまることなく、近づけば近づくほどに首が上向いていくのだ。
 この国に来てから、見下ろされるばかりなせいか、どうもコンプレックスが刺激されていけない。
「コンラッド、ちょっと腕を横に伸ばしてみて」
「こうですか?」
「うん」
 首を傾げながらも、右腕を持ち上げてまっすぐに伸ばしてくれるから、二の腕を両手で握ってみた。
「ユーリ?」
 何をされるのか分からないものの、護衛はされるままに主の様子を見守っている。
 軽く力を加えてもびくともしないことを確認したユーリは、
「よっと」
 かけ声と共に軽く床を蹴って両膝を曲げ、伸ばされた腕にぶら下がった。
「……っ」
 急な負荷に多少ぶれたものの、力が込められた筋肉は一人分の体重を抱えたまま水平を保つ。
「なにをなさってるんですか?」
「地球にさ、こうやってぶら下がって身長を伸ばす器具みたいなのが売ってるんだよ。やってみたら延びるかなと思って」
 あんた身長高いし、御利益あるかな。
 後半は、独り言のようだった。
 鉄棒と違って太さがある分だけ握りづらいが、まぁ代替品なのだから文句は言えない。ぶらりぶらりと前後に身体を揺らしてみても、頑丈な腕はあまり揺れたりしない。
「さすが軍人」
「まぁ、鍛えてますからね。それで、そんなに身長が欲しいんですか?」
「そりゃあね」
 ゆらりゆらり、さらに身体を揺らす。しばらく続けるとさすがに自分を支える腕も、直角に曲げた膝も疲れてきたので、膝を伸ばし立ち上がった。
「別に今のままでも十分だと思いますけど」
「ぜんぜん足りねぇよ」
 当然、この程度で身長が伸びることはないから、先ほどと世界は何も変わらない。
「欲を言わせて頂くと、これぐらいのサイズがちょうど良いんですが」
 両腕が背に回ると、すっぽりと包まれてしまう。視界は護衛の胸で埋め尽くされて、ここが執務室であることを忘れそうになる。
「これだけ違うと、目を合わせるのも一苦労だろ」
 狭い中、なんとか顔を上向ける。見えるのは形の良い顎ばかり。背伸びをしたところで、キスさえできない距離は不便だ。まぁ、そんなこと口にできるわけないが。
「それは、俺が縮めばいい話ですから」
 少し腕が緩むと同時に、見上げるばかりだった顔が降りてきた。僅かに腰を曲げる無理な姿勢だが、顔にはそんなこと微塵も感じさせない柔和な笑みが浮かんでいる。
 次いで、大きな手が頭の上に乗る。ぽんぽんと軽く叩いた後に、髪を乱さぬ程度に撫でられた。
「おれの身長が延びないのは、あんたのせいな気がしてきた」
「そんなことないですよ」
 こうして触れられる度に、おかしな圧力がかかっている気がする。
 まぁいいかと思わされてしまうのも、身体によくない影響を与えているかもしれない。
「まだ育ち盛りですから、きっと伸びますって」
 そんな根拠のない言葉、慰めにさえならないのだが。
「……はぁ」
 触れてくる手が嫌いじゃないから困ると、ユーリは小さく溜息をついた。


(2010.02.22)

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