相合傘 - 遠野


 稀に見る豪雨だった。
 地上を打ち鳴らす音は、そこで暮らす者達の音を奪っていくかのようで、雨音だけが絶えず続いている。
 突然の来襲に慌て飛び込んだ空き家に二人は居た。
「凄まじいな」
 特に屋根が強烈で、馬鹿にでもなったように大きな音を立てている。
 息がかかるくらいの至近距離でないと、会話すら成立しないのは何かと不便だ。屋内を点検するとコンラートはユーリを残し離れようとしたが、三歩進んだだけで意思伝達が不自由になった。
 普段は目配せ一つで意図も読み取る事が出来るのに……雨音に脳が狂わされているとしか思えない。まるで自分が自分、相手が相手で無いような錯覚に陥るのだ。
 仕方が無いからとユーリは腕をコンラートに絡ませ家屋の奥まで周り、機能が正常に動いているかを確認してから結局は暖炉のある個室に落ち着いた。
 埃の塊と化したソファは放置し、軽く掃いた床に手持ちの布を広げてスペースを確保する。
 暖炉の火は燃えている。よく乾いた薪が暖炉の横に積んであったのを、そのまま使わせて貰った。
「貴方の休憩時間が延びましたね」
 耳に注ぎ込むように喋る口を窘めたいと思うが、この状態では仕方ないとユーリは諦めた。ただくっついて会話をするのも悪くは無い。
「その代わり、執務時間が押すんだよ」
 ここ数日深夜まで書類整理が続いている。今日はやっとゆっくりしたスケジュールが組めて、こうして外出も出来たのだが…この分ではまた深夜まで引き摺る事になりそうだ。
「今の内眠っておきますか?」
「んーん。眠れないだろ、こんな騒がしくちゃ」
「そうですか?一定のリズムだから耳に慣れてしまえば案外良い環境だと思いますけど」
 そしてクスクスと耳元で笑う。雨よりも性質の悪い音だ。脇腹を擽られるよりもずっとゾクッとする。種類が違うのだから比べるものでは無いのかもしれないが、背中に何かが走るのには変わり無いというのが当のユーリの見解であった。
 ぽちゃんと、今迄と違った音が聴こえた。
「雨漏りだ」
 それは思わず飛び出した独り言だったのでコンラートには聴こえていないが、触れている体の振動で伝わっていた。何?と訊ねてまた顔が近くなるので、今度はコンラートの耳元へ口を持っていく。
「水受け持ってくる」
 盥らしきものが入口に転がっていた事を思い出して取りに行ったのだが、底に穴が三つも空いていた。これでは目的を成さない。他には花瓶やスープ皿を見付けたが、それでも不足だろう。
 直ぐに探す事を諦めたユーリは、コンラートの隣に体育座りをした。耳が豪雨の中で雨漏りの軽い音を拾い続ける。水溜りが拡がって、僅かに床が斜めっているのだろう、細い線となって一方に流れている。
「いつになったら城に戻れるかな」
 距離的にはそれ程城からこの空き家は離れているわけでは無いのだが、まるで別の世界に来たような感慨を抱いてしまっていた。とても遠い場所に二人で居るのはそれなりに魅力的だったが、どうしても現実から抜け切れない。いつも頭の片隅で未決の会議やら宰相の怒鳴り声(それも最近は少なくなったのだが)が響いて、忘れさせてはくれないのだ。現実逃避も簡単では無い。
「外に飛び出しても良いのですが、貴方が風邪をひいてしまう」
「あんたは引かないのかよ」
「ええ、鍛えてますから」
 馬鹿なんじゃなくて?とは心の内に納めておく。この問答もいい加減飽きた。おれも鍛えてる。けど、引くものは引く。コンラートは何故か引かない。それが結論だ。
「…傘でもあればびしょ濡れは回避出来るかもしれないのに」
 魔法があって傘が無いなんて可笑しな世界だ。碌な雨対策が無い。
「この雨では結局濡れてしまうでしょう。何か被るものでもあれば良いのですが」
 この空き家にはそこまで期待は出来ない。先ず埃が酷くて布類に手を出す気も失せる。
「ハウスダストにかかりそうだ」
 既に大量の埃を吸っている。辟易して溜息した。
 アオやノーカンティーは城下町警備の兵士に預けているのだが、濡れずに済んだだろうか。
 こうもする事が無い場所だと、色々な事を思い出す。執務は最たるものだが、他にも、今は地球に居る村田の事や、海外に飛びまわっている勝利の事。それから、昨日の夜食は誰が作ったのだろうという疑問や、明日こそロードワークをしたいという希望だったり。
 流れては消えて行く思考を追う事無くぼーっとしていると、コンラートは無言で肩を差し出してきた。眠れなくても目を閉じて休めという事だろう。
 寄り添うとやはり温かい。寒いとは感じていなかったのだが、その温度に安心した。
「雨宿りも、悪く無いかな」
「何だか、遣らずの雨のようですね」
 何だそれ、と目で訴えると苦笑された。そんな日本語を知る眞魔国の者の方が不思議なのだが。
「貴方を帰したくないから降る雨の事です。この家がそう仕向けているようだ」
「あんたがじゃなくて?」
「俺はいつでも貴方と共にあるのに、そんな事をわざわざ望みませんよ。ああでも、だとすると可笑しな話だ。雨は貴方を攫ってしまうのに、遣らずだなんて」
 今度は何のつもりだと睨んだ。酔った台詞は好きではない。
「もしかしたら、その水溜りから貴方が地球へ帰ってしまうかもしれないじゃないですか。雨を降らせて帰らせないなんて言いながら帰り道を作るなんて不思議だなと」
「ばか、誰も意図してやってないよ。雰囲気に呑まれ過ぎなんだ、あんたは」
「貴方がロマンチックじゃないから丁度良いんじゃないですか?」
 耳元で囁き、囁かれ続ける会話はどんな言葉でも睦言のように感じてしまう。それでもロマンチックでは無いと言われるだろうか。ユーリは黙って一人笑った。
「もう一つ、呆れられる事を言っても良いですか?」
「駄目。…って言っても言うだろ」
 コンラートは笑顔で肯定した。
「こうして二人で雨宿りしていると、相合傘に入っているような気がします」
「…は?」
「雨を凌ぐ場所に二人で入っている。ね?」
 何が、ね?だ。確かに呆れる。だが、諦めもした。これが彼で、これがおれなのだから仕方ない。
 相合傘を気にする年齢は過ぎてしまったけれど、その幼稚な甘い言葉は、ほんのり拡がる。城に戻ったらホットミルクを飲みたいと無性に思った。


write:10.02.27


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