罵声の浴びせ合い - ハヅキ


「好きです」

 お袋が好むようなドラマや映画なんかでよく耳にする言葉が、まさか自分に向けられることがあろうとは。
 驚き慌てたのは、もうだいぶ以前の話だ。冷静であれと命じるおれの内心を裏切って大きく跳ねた心臓を見ないフリしつつ、あっそ、と何事もないように返す。
 そんなおれの反応を気にした風もなく、コンラッドはいつも通りの笑みを浮かべながら朝の着替えを手伝う。腕を伸ばしただけで黒い上着の袖が通り、見ているだけで自分でとめるのと同じぐらいの早さでボタンが嵌っていく。
「できましたよ」
「サンキュ」
 いつから、好きだという言葉は挨拶の意味を持つようになったのだろうか。そんな問いをできるはずはなく。
 私室を出て歩き出したおれの後ろを、コンラッドが当たり前のように続いた。


「今日も一日お疲れ様でした」
 夕食を終えて自室に戻った後も、コンラッドは側を離れない。
 風呂に入っている間も外に立ち、そこから出れば髪を乾かすのを手伝い、眠るまでの僅かな時間におれがしたいことを邪魔せぬように控えている。話をしたいと言えば付き合ってくれるし、腹が減ったと言えば侍女に告げて軽食を用意させ。
 十六のガキに付き従って、何が楽しいんだと思わなくもないのだが。それをすべて笑顔でこなすのだ、この男は。
「あんた、なにが楽しくて護衛なんてしてるんだ?」
 些か護衛の範疇を超えている気がするが。
 自分だけ座って相手を立たせておくなんて居心地が悪すぎるから、一緒になってカウチに座った。
「あなたの側にいられることが、楽しくないわけないでしょう」
「あっそ…」
 口説くような甘い言葉と、浮かべられた笑み。女の子ならば、一発で恋に落ちてしまいそうなシチュエーションだというのに、逆におれの心は重石をもらったように沈んでいく。
「信じてませんね? こんなにあなたのことが好きなのに」
「……」
 何かを言わなければと思うが、思うように言葉が出てこない。
 楽しそうに世話を焼く姿を見ていれば、好きだという言葉が真実のように聞こえてくる。
「そろそろ眠らないと、明日に響きますよ」
 だが、それを素直に喜べないのは、たぶん最初に躓いてしまったからで。結局、なにも言えぬままにベッドへと追い立てられそうになった。
 コンラッドはいつだって、おれに返事を求めない。
『ユーリ、あなたが好きです』
 珍しく咎める前に名を呼ばれたその日、初めて告げられた『好き』の言葉に添えられていたのは笑みではなく、真剣な眼差しだった。
 慌てふためいたおれは、自分もだなどという恥ずかしい言葉を口にすることができず。向けられた眼差しに耐え切れずに俯いたおれに、コンラッドは返事ではなく、ただ「迷惑か?」とだけ問いかけてきた。
 そんなはずあるわけがない。
 首を左右に大きく振ったら、ようやくコンラッドの緊張した雰囲気が和らいだ。
 だから、想いが伝わったのだとおれは勘違いしてしまった。それが、そもそもの間違い。
「あんたの好きなんて、信じない」
「ひどいな、こんなにも好きなのに」
 コンラッドが肩を竦めて笑う。ひどいと言いながら、笑みを絶やさないその態度が腹立たしくて、おれは咄嗟に襟首を掴んでいた。
「ユーリ?」
「なんで、聞かないんだよ。おれが、どう思ってるか」
 押し付けて、それで終わり。一方的で独りよがりな想いなど、いらない。
 激情のままに、締め上げる。
「俺は、あなたに伝えられるだけで満足なんです」
「そんな気持ちで好きだなんて言われて、おれが嬉しいとでも思ってるのか?」
 罵倒するように言葉を叩きつける感情に合わせて、締め上げる手に力が篭った。苦しいのか、それとも違う思いからか、コンラートの表情から笑みが消えた。
 張り付いた仮面が剥がれ落ちていく様を見て、逆におれの感情が収まっていく。代わりに生まれたのは、残酷で、優しい気持ちだった。
「欲しいものは欲しいって言わないと手にはいらないんだぞ」
「求めたところで、手に入らない物のほうが多いんですよ」
 そんなこと知ったことじゃない。
 あんたが何に怯えてようが、おれには関係ない。
「なぁ欲しいって言えよ」
 おれは欲しい。
 好きな相手には、同じように求められたいに決まってる。

 逃げることを許さず挑むように睨み続けたら、コンラッドは情けない顔で降参を告げた。
 誤魔化した笑顔より、よほどそちらの方がいい。だからおれは、締め上げたままだった襟首を引き寄せるようにして唇を触れ合わせ、
「好きだ」
 ずっと言えなかった言葉を口にした。


(2010.02.28)

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