「なに考えてんだよ」
不覚にも小脇に抱きかかえられた状態で宙を飛びながら、おれは叫んだ。
抱いている方は高校生男子ひとりを腕力だけで支えているくせに、涼やかな声音で返してくる。
「そうですね、あなたのことかな」
冗談ではなさそうなところが、怖い。
「……どこに行くんだよ」
憎たらしいと歯ぎしりしたくなるぐらい長い足が、動物を模した庭石をひょいと飛び越えた。
おれはいまだにうろ覚えの城内を必死に脳内展開して、現在地を探る。さっき通り過ぎた、理解しがたい芸術的銅像はたしか中庭の東側にあったやつだ。このまま進むとなると向かう先はかなり絞られてくる。
ゆっくりと後ろに過ぎ去っていく風景には、王佐の絶叫がBGM代わりに流れていた。しかも水音付きだ。
機械音や車のエンジン音がない世界では、鼻血の飛び散る音までも遠くまで響くらしい。嬉しくない発見だった。
「さて、どこにしましょうか」
「予定は未定かよ」
「ええ、急なことでしたし」
「……嘘ばっかり」
恋愛関係付きのそこそこ長い付き合いだ。澄ました顔には裏側があることぐらい判っている。つもりだ、たぶん。
自慢できない脱走経験から導き出された目的地は厩舎。しかもノーカンティーはウォームアップも終わった状態で待っている。流石にそれから後の行き先までは判らないが、計画的犯行に決まっている。
今日のスケジュールは執務室でのデスクワークがメインだった。黙々とノルマを消化していき、さて次はと机の奥にあった書類を取ろうと手を伸ばした瞬間、脇に腕が差し込まれ、ひょいと抱きかかえられてそのまま窓の外にダイブ。そして現在に至る。
今更ながらに考えてみれば、中庭に通じる窓の鍵はいつも閉まっているし、書類だっていつも手前の方に用意してある。昼を過ぎて最初の休憩の時に席を外していたのも怪しかった。馬の準備をしていたのだろう。
何もかも仕組まれていたのだ。
「嘘だなんてひどいな、俺を疑っていますか?」
少し押さえた声で嘆きの言葉を紡いではいるが、当然演技に決まっている。顔は見えないが、瞳に散った銀の星はきらきら星でも歌いだしそうな勢いで煌いているに違いない。
「うん、疑ってる。しかも、もの凄く」
「悲しいな。信用ないんですね、俺」
「勝手に悲しがられても困るよ。知ってるか? こーいうのってユーカイって言うんだぞ、ユーカイ」
もしかして剣豪一筋80年には、高校生男子の持ち運びなど弁当程度の手軽さでしかないのかもしれない。腰に回された腕がゆるむ気配はなく、お得意の演技でもいいから、もう少し大変そうに抱えて欲しいと思ってしまう。それが筋肉を付けるべく日々努力をしているおれに対する優しさというものだろう。
せめて被害者側だけでもそれらしくしてみたいような気持ちになり、おれはタスケテーなんて呟きながら腰にまわっている腕をひっかいた。
とたんに腕の持ち主から強烈な仕返しを喰らう。お姫様だっこに変更という形で、だ。
「ああ、知ってます。地獄極楽ゴアラの好物ですね。でもすみません。デート先のリクエストは嬉しいけれど、あいつらが住んでいるところは少し遠すぎて、今日中に帰ってくるのは難しい。また今度にしましょうね」
どんな聞き間違いだろうか。名誉の為に、一部は聞かなかったことにする。
「デートって……誘われた覚えも、承知した覚えもねーよ。それに今日中どころか、おれ、仕事溜まってるから今すぐ戻りたいんですけど」
手に取り損なった書類のタイトルが頭を掠める。同じタイトルで分厚い会議資料と格闘したのは、一月ほど前のことだ。かなり荒れた会議だったのでよく覚えている。しかも荒らしたのはおれだ。
珍しいことではないが、相手は強面の宰相閣下。
イメージとしては、ゲーム序盤でうっかり入り込んだ洞窟には画面に入りきれないほど巨大なボスがいて。必死に闘ってはみたものの、綿密な調査と王の意見は具体性に欠けるという言葉でとどめをさされ、あえなく教会行き。
具体的に言えば、常態化している児童労働に驚いて児童福祉と学校教育に関する法の全面改正を狙ったけれど、一部のみに留まるという結果に終わる、と。
もう宰相閣下の好きにしてくれなんていうありきたりな言葉を投げ、頭に血が上った状態で会議の終了を宣言してしまった為、具体的にどういった法令が発布されるのか、手直しが終わった後にでもギュンターに確認しなければと思っていた。ところが他にも問題は山積みで。結局、今日まで再会できなかったのだ。
魔王が代替わりしてから、法令番号は振り直しになっている。誰が考えたのか『ユーリ+成立年月+連番』だ。良くも悪くも、もう結構な数になっている。
思いつきのように言い出した話が番号を振られ、正式な書類として目の前に現れるたび、本当にこれで良かったのかと思い悩む。後悔することも多いが、優秀な宰相に王佐、文官の人たちのお陰で、それなりにやっていけている。
今日だって、ちゃんと、やれていた。
ふいに仕事の邪魔をされてしまったという意識が浮かび、腹の底が熱くなった。そうするともう、少ない脳みそはじわじわと茹だっていくばかりで。
「おい誘拐犯、離せよ。おれはまだ仕事中なの。デートとかナイから! ほら、今ならまだ間に合う、故郷のおっかさんが泣いてるぞ」
本当はおれのためにやってくれたことだとは判っている。気の利く彼のことだ。朝から続くあくびと溜息のコンボに、これは外に連れ出して気分転換をさせてあげなければいけないと思ってくれたに違いない。
しかし、あくびは寝汚い婚約者の寝ぼけたラリアットがやけにきまったせいで、溜息は続く署名でゲシュタルト崩壊を起こしかけていたせいだ。
逃げ出す理由としては、あまりにも瑣末すぎる。
「はーなーせー」
子供が嫌々をするように首を振ると、背中を支えている温かな手に、少し力が入る。厚い胸に頬が当たり、そのまま押しつけるようにして抱き直された。
「誘拐犯とは手厳しいですね。でも、せっかく陛下から拝領した肩書きだから、大切にすることにします。それに残念ながら母上は国外ですよ。いつもの旅行です」
しまった。つい先週、いってきますとわざわざ頬へのキス付きで挨拶されたばかりだった。もちろん嫉妬深い恋人から後で酷い目に遭わされた。母親のしたことぐらい、大目に見ろよと怒りのステータスがやや上昇する。
「そこは無罪を主張しておけよ。カツ丼出して貰う前に罪を認めるなんて、ドラマだったら脚本家がクビになるレベルだぞ」
「クビになったら陛下が養ってくださいますか? ああでも、今も陛下に養って貰っているようなものですからね」
「名付け親のくせに扶養家族って意味わかんねーよ」
頭の上の方で笑い声が聞こえる。なんたる余裕。
「あ、ウェラー卿、おつかれさ……ひっ」
中庭に抜ける扉を守っていた兵が、見てはいけないものを見てしまったといった風に顔を背けた。王が誘拐されている真っ最中だというのに、止めてくれないのが哀しい。
人の助けが期待できないのであれば、どうにかして自力で逃げ出すしかない。一体どうしたものかと悩んでいるうちに、厩舎へと続く渡り廊下まで来てしまう。
冬とはいえ、日向は暖かい。
柱の隙間から射し込む日差しに目を細めながら、おれは少しだけ誘惑されてしまった。こんな日にボールパークでキャッチボールしたら気持ちいいかもしれない、なんて。
でも。
「あー、犯人に告ぐ。今すぐ戻れ。今すぐ戻れ。今ならまだ間に合うけど、そろそろ本気で怒るぞー」
拡声器が欲しい場面だが、無いので犯人の耳たぶを引っ張り、直接怒鳴る。
「それは怖いですね。でも、すみません。もう少し大人しくしていて下さい」
たぶんそれは上司というか王様に対する要望としては、かなり不敬なうちに入るだろう。ギュンターに聞かれていたら大変だ。
予告よりもややフライングして怒っていたおれだったが、犯人の気持ちが少しぐらいは判ってしまうので、本気で強行策にでようとは思わなかった。しかし流されようとも思わない。
「犯人に告ぐー。仕事させろー」
返事はない。足が止まる気配もない。
本気だと思われていないのだ。もう少し腹をたて、おれは繰り返す。
「なぁ、おれ、仕事したいんだけど。さっきの続き。仕事、仕事、仕事、しごと、しご、としご……」
署名と同じで、何度も繰り返しているとやっぱりゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。なんて単純な脳味噌。もっと有能ならば、護衛を誘拐犯に転職させることなどなかったろうに。
傷の入ったCDのように呟き続けるおれを可哀想に思ったのか、コンラッドは足を止め、おれを地面に降ろしてくれた。
「……ごめん」
「謝るのは俺の方ですよ、陛下」
陛下と呼ぶなと口にしなかったおれに、コンラッドは跪く。そうして両手を取られ、固い剣だこがある大きな手のひらで包まれた。
冷たい。
冬だから、という理由ではないだろう。窓際とはいえ、一緒に暖かな執務室に詰めていたのだ。コンラッドの手がそんなに冷えているはずはない。
はっとしてコンラッドを見つめる。彼はおれの手をその頬にそっとに当てた。
ひんやりとした感触が心地いい。
「こんなに熱い……お疲れなんでしょう?」
そう言われてから、両手のひらがやけに熱をもっていることに気がついた。
逃げるようにコンラッドの頬から手を離す。
一度握りしめ、開いた手のひらはやけに赤みを帯びていた。どくどくと血の流れるリズムにあわせるかのように全体が痺れている。
そして右にはペン軸の、左には丸く切った爪の跡がはっきりと残ってしまっていた。
「えっと、これは」
続きを問うてくるまっすぐな視線に耐え切れず、おれは俯いた。
「ほら、ノートにボールペンでいうのとは要領が違ってさ、ちょっと繊細な紙だからペン先ひっかけないように気をつけて気をつけて署名してたらなんか疲れちゃって、それで」
「ええ、判ります」
食い込んだ爪の跡を、大切そうに指でなぞられた。
やっぱり嘘ばっかりだ。騙されてないくせに。
今日、署名した書類の中には、承認を出したくないものが多く含まれていた。出したくはなかったが、それらは全て宰相の指示の元、十二分に担当部署で協議されており、『いやだ』の一言で一蹴できるものではなかった。
そんな時はぎゅっと拳を握りしめ、自分の中で折り合いが付くまで書類を読み倒す。考えて、考えて。時々、説明を求めて。どうにか納得してからインク瓶にペン先を浸ける。
少しだけ弱音を吐くと、いつもより多すぎたのだ。納得がいかないことが。だから、次はそれを納得がいくように変えていきたいと強く思いながら、署名を終えた書類を決済済みの箱に入れていく。
後ろに控えているから、見えているのは背中だけのはずなのに。全部ばれてる。
「でもさ、少し休憩したら、大丈夫だから。コンラッドはそういう意味でおれをその……ユーカイしたんだろ?」
にこりと笑ってコンラッドは首を横に振る。
そこは嘘をついて欲しかった。おれにだってプライドはある。王様としてのプライドではなく、おれ自身としてのプライドだ。だから、ではなぜこんなことをしたのかとは聞けなかった。
コンラッドは跪いた姿勢を崩さないまま、言葉を失ったおれをじっとみつめてくる。
「俺は陛下を攫いたかったんじゃない。護衛として、陛下をお守りしたかったんです。色々なことから、ね。実はさっきも、執務室で危険を感じまして」
「……だから、こうなった、と。別におれは何も感じなかったけど」
「おや、そうですか? じゃぁ、俺の野生の勘みたいなものが働いたんですね。なんかこう……ピンと来たんです。陛下が危ないって」
「陛下ゆーな、野生の元プリ」
嘘にも種類があって、優しいなんていうカテゴリも存在するのかも知れない。
笑顔を崩さないコンラッドは、ふたたびおれの手を取り、愛おしげに撫でている。
「……おれ俺のあんまり野生じゃない勘はさ、もう危険はないってさ。せっかくここまで来たけどさ、執務室に戻ろう。まだ仕事が終わってない」
「いいんですか?」
何が、とは言わない。
「ああ、大丈夫。」
おれは精一杯の笑みをつくって、大きく頷いた。
そうして、せっかく色々と準備してもらって悪いけど、とコンラッドの耳元で囁いた。
「だから、またな。次は誘拐じゃなくて一緒に脱走で、さ」
頷いたコンラッドが、爪の跡が残る手のひらにそっと口付けた。
(2010.02.28)
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