ガラス越しの口付け - 桜子様


「コンラッド、これはどこに置けばいいんだ」
「そうですね…ウィンドウに置きましょうか。位置取りはユーリにお任せします」
 閑静な住宅街にある雑貨屋。今日は月に一度の新商品の入荷日。定休日なのに二人してディスプレイにいそしんでいた。
この雑貨屋のオーナーはつい半年前に代わったばかりだった。この店をやっていた老人が、急遽店を辞めてしまったことに始まる。アルバイトをすることになっていた渋谷有利は、それを知らされることなくバイト初日に店がないという緊急事態になってしまった。
そこへ現れたドイツ人、コンラート・ウェラーが老人との約束だったらしく、店を受け継ぐ形で有利をバイトにそのまま雇い、現在に至っている。
店は国内外の新人作家の作品や雑貨を扱うため、買付けはすべてコンラートがしている。そのためか商品は掘り出し物が多いと、評判は上々だった。
「この天使、きれいだな」
 有利が掲げたグラスには天使が描かれている。どれどれとコンラートガうしろから覗き込んでくる。
「フランスの新人作家の作品ですね。サンドブラストです。描かれた天使は今にも飛び出してきそうでしょ。それが気に入ったから買い付けてきたんです」
 ユーリはお目が高いですね、とささやく。
「ホワイトデーが近いでしょう? だから、それなりのテーマを持って選んできたんですよ」
ふ〜んと有利がグラスを回しながら、絵を確認していく。その一生懸命な姿に思わず仕掛けたくなる。
「それに」
「それに?」

「その天使、どことなくユーリに似てる」

 さらりと口から出た買付け理由に有利は絶句した。さも当然というようにニコニコ微笑んでいる男に、有利が顔を真っ赤にして振り返った。
「あのな! どうしてそんなに恥ずかしいことをぺらぺら言えるんだ、あんたは!」
 手にしていた商品のグラスを静かに置き、相手の胸をポカポカ叩き始めた。コンラートは困ったような表情をしていたが、どこかうれしそうに少年の背に腕を回す。
「ユーリ、落ち着いて」
「バカ! 落ち着いてなんかいられるか!」
 胸から上げられた顔は完全に茹で蛸状態。まるで子猫が逆毛をたてているような雰囲気にますます男は抱きしめる力を強くする。
「ユーリ」
 落ち着かせるように名前を耳元にささやく。
「ユーリ」
 もう一度、名を呼ぶとこめかみにキスをした。
「本当にそう思ったんだ」
 恋の駆け引きなど有利の前では意味をなさない。
有利と出会って半年。その間に自分はどれほど捕まってしまっているのか、この少年に知らせてみたいとわがままを言う自分の心。
この天使のように有利は純真だ。
真っ直ぐに自分の胸に入り込んできた。恋人同士になってもコンラートはますます夢中になっている。
「工房でこの作品を見せてもらったとき、ユーリの笑顔が見えたんだ。ユーリはうれしくなかったかもしれないけど」

  「…だから買ってきてくれた?」

 腕の中からポツリとつぶやく声。
「えぇ」
もう一度、ゆっくり顔が上げられる。頬にまだうっすら朱がさしている。
「コンラッドはいつも俺のこと思ってくれてるの?」
 どこか不安そうな瞳の揺れが垣間見える。捕まってしまっているのは、自分だけじゃなかったと男は初めて実感した。
(クルクル変わる表情をもっと見てみたい…)
男のわがままは尽きない。
「もうずっとあなたに捕まっています」
 はっきりとした真っ直ぐな眼差しに有利はドキリとする。これがずっと有利を捉えていた瞳。
「真っ直ぐなあなたにずっと」
虹彩を放つ不思議な色がのぞき込んでくる。思わず有利は男の腕から逃れ、壊れないように置いてあったグラスを手に取った。
それを唇の前に持ち上げて、上目遣いに見上げ、

「俺もずっと捕まってるよ…コンラッドに」

 照れくさそうに、相手に精一杯の気持ちを伝える。コンラートはそのままゆっくりと前に進み、グラス越しにキスをする。
 まるで聖杯に誓うように、恭しいキス。
驚いた有利は目を見張ったが、すぐに目を閉じて、グラス越しに感じる恋人のキスを受ける。
初めてのガラス越しのキスは、とても甘いキスだった。

やがて有利の手からグラスが奪われ、熱いキスに変わるのはその後すぐのこと…


(2010.03.02)


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