ベリルの恋人



 執務室に籠って今日で何日目になるだろうか、指折り数え始めて十本目を畳む前に止めた。それ以上考えたくは無いし、意味も見出せない。
 仕事場が自宅のようなものだから衣食住には困りはしないが、その分隙間無く政務に詰められる。勿論それは他者から強いられたわけでは無く、自らそうしているのだから文句を言うのは筋違いだ。分かっている、自分はどこかがおかしい事くらい。昔は仕事狂いだとグウェンダルを笑ったが、いつの間にか仲間入りしていた。それも、自分で自分を苛めているような気分になる程に深く。
 肩を大きく回すと、恐怖心を感じる音が鳴った。体は恐ろしく固まっている、しかし一番重傷なのは手だ。腱鞘炎を魔力で誤魔化し誤魔化しやっていたが、無理が続いたせいでたまに奇妙な痙攣を起こす。
 その体の状態をしっかり把握している専属護衛は、それでもユーリを止めはしない。疲れを表面で訴えるユーリに仕事の中断を勧めたのは魔王業に就いた最初だけで、自分から執務室に向かうようになった頃には口を挟まなくなった。スケジュール管理も煩くは無いし、極力意思を尊重してくれている。そして何の不平不満も無くオーバーワークなユーリに付き合うのだ。それに対してユーリは何もコメントをしないし、コンラートもそれを求めてはいないから、どちらも自分の希望を貫いて仕事をしていた。
 一日が執務で完結する日々を何の違和感も無しに過ごしていたが、それが崩れたのは、何の気無しに掛けられた文官の言葉が切っ掛けだったのだろう。
「仕事が恋人のようですね」
 普段なら笑って流せたその揶揄に、どちらが先に反応したかは判らない。だが書類に向けていた顔を上げて視線を合わせてしまった。長年の付き合いというのは不思議なもので、それだけで互いの胸の内が分かってしまう。二人は同時に苦笑を漏らし、自分の身の内に沸き起こった“仕事への嫉妬心”を打ち消した。そんなものに妬くだなんて馬鹿馬鹿しい…ユーリはそう考えて髪を掻き乱したし、コンラートは額に手を当てて同じ事を考えているようだった。
 今の今迄そんな事を忘れていた…というよりも、愛情を当たり前だと感じていた。受けるのも与えるのも。それなのに、今更嫉妬も何も無いだろうに。
 しかし考え始めてしまうと、仕事の方が手に付かなくなる。今迄滑るように動いていた羽ペンが滲みを作り出し、ぼんやり、今日の天気は快晴だから月が綺麗だろうなと考え出した。
 こうなるともう駄目だ。目の前にある書類が急ぎの用件で無いのが拍車をかける。そして本日は会議も何も残されてはいないし、現在この部屋にはおれと彼の二人しかいない。
 ガタリと音を立てて椅子を引くと、護衛へきつい視線を送る。それに気付いたであろう男は、しかし顔を上げはしなかった。それに腹を立て今度は強めに名前を呼んだ。だが彼は、無反応でまたペン先を墨に浸す。
「キスだけだから」
 そう言って漸く、疲れ切っているおれの体を思いやっていた護衛も折れた。返事の代わりに羽ペンを置くのを見て、ほっと息を吐く。
 コンラートの机の前に立つと腰を曲げて唇を重ねた。乾いている唇の感触はあまり良く無くて、悪戯するように舐める。どちらがそれを望んだのか自然と絡む舌の動きが気持ちよくて、机越しなのを残念に思った。これが無かったら胸に凭れて体重を預ける心地良さを味わっていたのに。
 決して激しくは無い、だがゆったりと長く触れ合っていたのを離れると、コンラートの肩口に顔を埋めた。
「もう休まれますか?」
 後頭部を撫でながらそう訊ねる声は確実にユーリを甘やかすもので、張っていた気を完全に弛ませる。もう一字も書けないと、そう思ったから頷いた。
「仕方の無い人ですね」
 言葉の割に溜息が嬉し気で、寄りかかろうとするユーリを支えながら立ち上がると、抱きつかれるよりも早く横抱きに持ち上げてしまう。まさかこれで自室まで行くつもりかと驚きに目を瞠ったが、コンラートが「恋人は仕事なんかじゃないって見せ付けてやりましょう」なんて言うからどうでもよくなった。未だ気にしていたのかと呆れながらも、何となく愛されてるなと思うので黙って付き合ってやる。ついでに寝た振りをするのをやめ、思いきって両腕を首に回した。だって、そっちの方が恋人っぽいだろ?



 まさか、寝台の上に寝かされて「おやすみなさい」と言われるとは思わなかった。
 続けて「良い夢を」と言われる前に上体を起こし、去ろうとする男の手首を慌てて掴む。
「着替えた方が寝易いですか?」
「…そうじゃねぇだろ…」
 脱力して見せると、コンラートは寝台の端に腰をかけて腕を回してきた。抱き寄せられるままに身を任せていたら、耳元で囁かれる。
「ゆっくり休んで、それからでも遅くは無いでしょう?疲れていては勃つものも勃たない」
 それはあんたがオッサンだから…そう言おうとした口を瞬時に閉ざす。考えた時点でばれているのだが。
「じゃあさ、おれの性欲処理に付き合ってよ」
 彼は刹那目を丸くし、すぐに呆れた声を漏らした。
「色気が無いですよ」
「あってどうする」
「やる気になるかもしれないじゃないですか」
 ここが?と手の甲で股間を擦ると、コンラートは負けましたと言って両手を上げた。
「そんな口先なんかに頼らなくても、やる気にさせてやるよ」
 ユーリは笑いながらその手を離すと、自らの襟元を緩めながらカーテンを引いた。太陽が赤く色を変えたばかりだ。灯りを点けなくとも室内は未だよく見える。
 今日のユーリは押しが強い。キスだけだという言葉は初めから嘘だと分かっていたけれど、あの文官の戯言ひとつで燃えたわけでは無いだろう。
 コンラート自身も十日以上抜いていないので溜まってはいるのだが、性欲と疲労の秤がユーリとは別の方向に傾いている。つい数年前まで体力負けはした事が無かったのだが、そろそろ若さには敵わない歳になったか。
 自嘲しながらも、主の望みは叶えて差し上げなくてはならない。勿論それは主だからというわけでは無く愛しいからだが。
「取り敢えず、窮屈そうな場所を寛げさせて頂いても宜しいですか?」
 片膝を絨毯の上に着き、寝台に座るユーリの前に恭しく跪いた。顔はやや笑っているが、隠そうという気は起きない。
「そういう遊びなの?主従ごっこ?」
「そのまんまですね」
 返事も待たずに金具を引き下ろして前を開く、手を滑り込ませてサイドの紐を解こうとした。だが、それは主が足を組んだ所為で成されなかった。困った顔を向けたが、ユーリは少しだけ気分を害したような表情で口許だけ意地悪気に笑んでいる。
「片手間で済まさせるかよ」
 ばれたか。
「では、反省して」
 組まれた事で顔の前に出された彼の右足を取る。穿いたままの革靴を脱がせ、靴下を丁寧に剥ぎ、素足に触れた。普段から足の爪に鑢をかける仕事まで職人から奪っている為に、それはよく手に馴染む。出来心で指先に舌を這わせると一瞬だけ緊張が伝わったが、音を立てながら味わっている内にユーリのそれは動き出す余裕も持ち始めた。口内を荒らそうとする足の指との闘争が楽しくて、好き勝手出来ないように付け根を軽く噛む。此方が優勢なのだと言って聞かせるように一本ずつ。ねっとりと唾液を絡ませながら。
「コンラッド」
 名前を呼ばれた時点で止めるべきだったのだろう。制止の声も聞き留めずに足首の方まで舐めたり噛んだりしていたら、遂に靴を穿いたままのユーリの左足に肩を容赦なく蹴り飛ばされた。
「痛いですよ」
「やめろっつってんの。しつこいんだよ」
 手抜きをするなと怒られたので、今度は足の先から愛して差し上げようと思ったのに。
「でもしっかり反応してますよね」
「当たり前だろ、足舐められただけでイきたくないから止めてんの」
 ……ああもう、このひとは。
 早急に右足も剥いて、それからズボンも脱がせた。下着も取り去り存在を主張する場所の根本を握って責めたい衝動に駆られたが、それは寸での所で押し留める。
 その代わり自分は軍靴と上着を荒っぽく脱ぎ捨てて主の背後に回る。シャツの前合わせを上から広げていき、全ての釦を外してから手を潜り込ませた。わき腹を撫で、臍を弄り、そのまま鎖骨まで上昇してやっとの事で胸へと行き着く。
「何この焦らしプレイ」
「性急なのがお望みでした?お疲れでしょうから、スローセックスを心掛けてるのですが」
 微かに笑いを含めて言うと、ユーリは複雑そうな顔をする。
「そりゃあ…頭を揺らされるのは嫌だけど。すっげーもどかしい」
 フェラはして貰え無さそうだと内心少々残念に思いながら、立ち上がりつつある乳首を摘まんだ。指の腹で揉むように回しているうちに色を濃くしたそれを爪で弾く。
「いたっ」
「硬くし過ぎです」
 生理現象だと睨まれたが、そんなの何の効果も無い。快感が強すぎるだけの事だと分かっているからやめようとも思わなかった。もう片方に指を這わせたら、ペシッと叩かれてしまったけれども。
「舐めろよ」
「貴方いっちゃいますよ」
「乳首でイくか馬鹿」
 つい先程足の指でいきそうだと言っていたくせに。結局は舐められるのが好きなのだ。舌が痛くなるまで、痛くなっても彼の隅々まで舐めて上げたくなる。
 正面に向き直り、要望通りに舌で乳首を転がしながら上目遣いで表情を眺めた。彼は僅かに開いた口の隙間から熱い呼気を漏らしていて、眉尻が切な気に下がっている。
「…こっち見んな」
 可愛くて仕方が無いから思わず空いている手が伸び、滲みを作っている下着に軽く触れた。もう片方の腕で腰を支えながら逃がす事無く爪の先で筋をなぞれば、ぞわぞわとした感覚がユーリの背に流れる。
「見んなって!」
 叩かれるように顔を手で押さえつけられたが、指の隙間から易々と彼の表情が覗けて可笑しい。見慣れた表情である筈なのに、見るなと言われれば見たくなってしまう。
 腕に引っかかっているシャツを払い、下着の紐を左右同時に解く。あ、と言う暇も無かった。
「あんたも脱げよ、全部」
 素肌を擦り合わせるように抱き合う行為がユーリは好きだった。性交渉とは別の気持ちよさを同時に得られる。時間が無い時は下半身を露出させるだけで済ませてしまう事も間々あるけれど、出来る限り裸でしたいと思う。それをコンラートも知っているので、言う通りに最後の一枚まで放ると覆い被さった。
 触れ合う性器にびくりと肩を浮かせたが、息を吸って吐き出す時には安堵となっていた。コンラートの背中に腕を回し、肩甲骨の辺りから幾つもの傷痕を通って尻までを撫でる。くすくすと笑い声が耳元で聴こえた。
「くすぐったいですよ」
「だろ。あんたっていつも尻に触ると笑い出すよな」
「貴方は良がるけどね」
 尻をつねっても楽しそうに笑うので、ユーリは間にある彼のペニスを握った。勃たないと言っていた割には硬さも熱も持っている。これなら挿入も可能だろう。でないとやはり面白く無い。
 疲れなど吹っ飛ばすくらいの快楽を与えてやろうなどと思ったのは、きっと自分自身のゲージが振り切れてしまっているからだ。
「上に乗るぞ」
 蓄積されたストレスが、些細な切っ掛けで溢れ出しただけ。そう、些細な一言でだ。
 …恋人が仕事?馬鹿言うな、こいつの恋人はおれだ。
 はしたない程の独占欲は自覚している。でないと四六時中離さずにいる理由にならない。護衛は足の爪など切らないし、キスもしない。するのは恋人だからだ。
 関係は周知の事であるし、あの文官だって本当は知っているだろうけれど、城の一番高い所から叫んでやりたい気分になる。おれのものだと。
「まだ入れられませんよ?」
「しゃあないから舐めてやる。けど絶対に動くなよ、頭クラクラするから。それと喉突いたら吐く」
 「だから色気が無いんですってば」という言葉は聞き流し、陰茎の先端にぐるりと舌を這わせる。先走りの苦みを確認してから、横から銜えるように唇で挟んで筋を刺激すると脈打った。
 気持ちが良いかなどは訊かない。自ら口走ってしまうまで高めるだけだ。
 亀頭部を口に含むと圧力をかけるに留める。出し入れなんて始めたら目が回りそうだ。きっとそうした方が良いのだろうけれど。
 一所懸命に舌を動かしていると、尻を撫でる感覚がぞわりと伝えられた。暇を持て余したコンラートの手が悪戯を始めたらしい。そもそも彼の顔の前に尻を突き出してしまったのはまずかったか。
「舐めても良い?」
 駄目と言うのが遅れたのは口の中にペニスがあったからだ。意思確認など形のみだったらしく、彼は既に尻に、そしてアナルに舌を這わせている。動くな突くなとは言ったけれど、何処にも触るなと付け加えれば良かったかもしれない。
 客観的に見て相当やらしい事になっているだろう、だが此方は当事者だ。全体像は目に映らない。ぼんやりとした視界の中には、ただペニスがあるのみだ。
 オーラルの刺激に足が震えたが、無我夢中でペニスを銜え直して唾液を垂れ流す。与えられる快感が強すぎて上手く口淫出来ずに、頭を口に含んだまま鼻で声にならない声を漏らした。それは非難に聴こえるかもしれないし、ただの良がり声としか思われないかもしれない。
「もう、良いだろ…離せよ」
「これ以上していたら顔にかけてしまいそうですしね」
「…これ以上してたらあんたの顔の上に座っちまいそうなんだ!」
 座っても良いのに、なんて本気で思っていそうな男を無視してユーリは体の向きを変えて太股の上を跨ぐ。
「騎乗位ですか」
「今日はあんたに乗りたい」
「やはりいつもより強気なようだ。…でも、また動くなとか言いませんよね?」
「考えてやる」
 何て慈悲深いお言葉でしょう…。
 しかし、ペニスを包み込む肉の感触に動かずにはいられなくなるのは目に見えている。それを我慢出来る程理性は頑強では無い事をよく自覚しているので、衝動に抵抗するつもりは無かった。この体勢でユーリが頭を揺らさないで達する事は不可能では無いのかとも思えたが黙っておく。
 彼に乗られるのは気分が良い。征服される事に心地よさを覚えるのはやはり彼に対してだけだろう。
「思いきり腰を落としても良いんですよ」
「あんたは良いけどな、おれは後が辛いんだぞ」
 長年こんな事を繰り返していれば、多少無理をしても出血したりはしないが。どうせなら気持ち良いだけが良い。傷なんて付いてお預けを食らったら、したい時に出来ないじゃないか。
 体の力を抜きながら、ゆっくりと腰を落としていった。体の一部が肉を分け入る感覚は眩暈がしそうな程で、最愛のひとの鼻に掛かる熱い吐息はそれを助長させる。全てを呑みこんだ尻が体にすっかり乗ると、その重さが愛しくて堪らなくなった。
「くるしー…やっぱり日を空けると違うな。きつい?」
「とても。そんなに締め付けると、早々に出してしまいそうだ」
「出しても良いけどさ、んっ…おい、やめ、」
 前置きも無く腰を使い出したコンラートをきつく睨もうとして失敗した。もうそんな余裕は無い。頭は上下に揺れるわ、腹の内側では好き勝手されるわで背中が弓なりに撓る。仰いだ喉がごくりと鳴った。
 堪らずに反り立つ自身の陰茎に手を添えたが、指に力は入らなかった。内側をきつく擦られてかき混ぜられる感覚を、瞳を閉じて強く感じる。浮いた頭でただ喘いだ。
 そして気付いた時には中に精液が吐き出され、ユーリのペニスからも大量に零れてコンラートの腹に落ちていた。
 荒い息を落ち着かせるように呼吸を繰り返し、汗をかいた額を腕で拭う。
「何がスローセックスだよ、最後が肝心だろ」
「すみません、俺には向かなかったみたいだ」
「我慢弱いもんな。あ、抜かないで」
 苦笑しながらどうしたものかと彼を見上げると、疲れた?と訊ねられた。
「今すぐ眠ってしまいたいくらい」
「だよな。寝て良いから…おれの好きにさせて」
「…本当に眠ってしまいますよ?」
 手で瞼を下ろすように視界を奪うと額に唇を落とす。するとコンラートの表情が柔らかくなった気がして満足し、弾力ある胸に頬を寄せた。ずり落ちるように抜けかけたペニスを既の所で押さえて、また深く挿し込む。
 いつの間にか陽は完全に沈み、暗闇の室内で二人分の穏やかな呼気が微かに聴こえていた。
 繋がったまま眠ってみたかったのだ。それはきっと、凄く幸せだろう。




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