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「あんたも、大変だったんだろうな」





 まだ、彼がこちらの世界へとやってきて間もない頃。
 他に選択肢がない中、それでも自らの意思で選び取った魔王という職業に彼は日々必死で向き合っていた。
 今日も一日政務に追われぐったりと疲れ果てた彼を寝台へと促して。
「おやすみなさい、ユーリ」
 また明日、と心の中で付け足す。いつも通りの挨拶。
 彼の枕元の灯りを消して背を向けて扉へと向かう俺に、彼は冒頭の言葉をかけてきた。
 『大変』
 足を止め、何がだろうかと考える。
 そのように思われるようなことを自分は彼に語っただろうか。
 部屋の灯りは扉近くの蜀台のみ。彼の表情までは見えないけれど、彼がこちらを見ていることだけはわかった。
「えっと…あのさ」
「はい」
 こちらの表情は彼に見えているのだろう。
 不審が顔に出ていたか、彼が躊躇いがちに言葉を続けた。
「俺、こっちきたばっかりで右も左もわかんなくってさ。あんたも地球に行った時、こんなんだったのかなと思って」
「……ああ」
「俺には、あんたがいてくれるけど。あんたには誰かいてくれたのかなって。いや、俺に心配されるなんて失礼かもしれないけどさ。あんたは大人で、ソツなくなんでもできちゃいそうだし」
 慣れない土地ではじめてのことばかりで、自分のことだけでも大変だろうに。そんな風に他人のことまで思いやれるのは、彼の持って生まれた資質なのか、それとも彼を慈しみ育てた両親のおかげか。
 じんわりと温かくなった胸元を手で押さえる。
 以前、そこで輝いていた魔石はいまはそこにはなく。
「確かに。見るもの全てが真新しくて、驚きの連続でした。今のあなたのように戸惑いましたしね」
 彼の胸で、彼の色で輝いている。
「でも、大変よりは嬉しかった…かな」
「うれしい?」
「ええ」
 目を閉じれば思い出す。
 真っ白な魂を運んだ過去の事を。
「俺は…少し、いろいろなことに疲れていました。地球でのたくさんの出会いは、俺に新しい価値観をくれました」
 彼女を失ったと知ったあの日の絶望も、その後の空虚な日々も、あちらの世界で出会った小さな赤ん坊とそれを取り巻く人々が変えてくれた。
 生まれたばかりの脆弱なはずの赤ん坊は、この世の全ての幸福を手にしているかのような顔で自分に笑ってみせてくれたのだ。
「あの時、あなたの住む世界に行けたことは、俺にとってすごく幸せな経験でした」
 彼女をを失ったモノトーンへと変わった世界は、ただそれだけで鮮やかに色づいた。
 その瞬間は、その魂の出自だとか、彼の背負う運命だとか、自分の立場だとか、そういったものとは関係なく、ただ愛しくて護りたいと思えた。
「そっか。あんたが、地球のことをそんな風に言ってくれると、なんかうれしいな」
 たくさんのことを地球で学んだ。
 その経験が、彼のこの国での生活の助けになるのならば、自分のした苦労なんて些細なことだ。
「俺、あんたが名付け親でよかったよ」
 相変わらず彼の顔は闇の中で見えないけれど、笑ってくれたような気がした。
「俺も、あなたが名付け子でよかった」 



 太陽となりますように。
 願いのままに、優しく眩しい彼を護れることを嬉しく思う。


(2009/09/28〜2009/10/06)