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「ユーリ」
 呼びかける声がいつも以上に甘いことに、自分でも気づいていた。
「ねえ、ユーリ」
 もう一度呼びかける。
「……」
 返事はない。
 ただ、腕の中で不自然に膨らんだカーテンが一度小さく揺れた。


 昨日、大切な人を手に入れた。
 誰よりも、自分の命よりも大切な人を。
 それはとても幸福な夢のようで、腕の中で寝息を立てる彼が現実だと知った時に、信じたことのない神に感謝さえしたほどだ。
 少しだけ泣かせてしまった涙の跡にそっと口付けながら、彼がまだ夢の中にいることを確かめ、それが自分が見たものと同じ幸福な夢であることを願いながら、ベッドを抜け出した。


 起き上がれないかもしれない彼のために、厨房係りを急かして用意してもらった朝食のトレイを手に部屋に戻った時、ベッドはもぬけの殻だった。
 湯気をたてる朝食のトレイをテーブルに置き、足早に窓際へと近づく。そして、衝動のままにカーテンの膨らみを抱きしめた。
「ユーリ」
 大切な名前は、口にしただけでこんなにも心を満たしてくれる。
「ねえ、ユーリ」
 腕の中、分厚い布が遮って彼の姿は見えない。
 けれど。
「顔を見せて」
「……ヤダ」
 いつだったか、彼が俺の顔を見なくてもその表情が分かると言ったように、布に包まれた彼が真っ赤になりながら身の置き場を探しているのがよく分かる。
「お願い」
 かわいらしい行動に、今すぐ邪魔な布を取り去ってしまいたくなる衝動に駆られながら、ゆっくりと囁いた。
 隠れながらも、部屋にいてくれた。
 それは、俺を待っていてくれたと自惚れてもいいだろうか?


 いくら待てども出てきてくれないかわいい人から、そっと腕を離した。
 途端に、不安そうに揺れた塊がたまらなく愛しい。
「朝食が冷めてしまいます。俺は席を外しておくから、冷める前に食べてください」
 焼きたてのパンの香りは、ずいぶん前から彼に届いているはずだ。
 じっと彼を見つめたまま、一歩、足を引いた瞬間に小さく丸まっていた布が大きく動いた。
「わっ」
「捕まえた」
 今では世界で一番好きな色となった、この国で一番高貴な色が覗いた瞬間、強引に彼の腕を引き寄せた。そのまま、遮るもののなくなった身体を強い力で抱きこんだ。
「捕まえたよ、ユーリ」
 じたばたと暴れた彼が、悔しそうに一度だけ俺の背いてから、同じだけの強さで抱きしめ返してくれる。
 その温もりも、降り注ぐ朝の光も、甘いパンの香りも、すべて。
 きっと何年たっても忘れないだろう。


 すべてがたまらなく幸福で、愛しいと感じた、ある朝のこと。


(2012/06/03〜2012/12/31)