拍手38


 水面から出した顔を出したおれが目をあけるより先に、ひょいと水の中から身体を抱き上げられた。
「わっ」
「おかえりなさい、陛下」
 記憶の通りの爽やかな声がする。
 だからおれは驚いて強張った身体から力を抜いた。
「陛下じゃないだろう、名付け親」
「そうでした」
 頭の上から大判のタオルをかけてもらう。
 全身ずぶ濡れ。髪から滴る水滴をタオルで拭いたところでようやく目をあけると、思ったより近い位置にある名付け親の顔に驚いた。
「すみません、慌てていたのでタオルしかなくて」
 彼が腰を少し屈めているおかげで目線が近い。
 久しぶりに孫に会ったおじいちゃんみたいな、うれしそうな顔がそこにあった。
「風呂に入ろうとしたら、いきなり湯船に引っ張り込まれてびっくりしたよ。久しぶり、コンラッド。元気だった?」
 そういうおれもそうだ。彼との再会がうれしくて、身体を拭いてくれる彼に身を委ねながら、銀を散らした薄茶の瞳を覗き込む。
「ええ。ユーリも元気そうでよかった」
 今度こそ間違えずに自分がつけた名前を呼んだ名付け親と見詰め合う。
 それだけで、還ってきたんだなって、実感した。


「つけてくれているんですね」
 おれの身体を拭いている最中に、コンラッドがおれの胸元で揺れる魔石に気づいた。
 訪ねる声がうれしげだ。彼の指先が、石をそっと持ち上げる。
「もちろん」
 風呂に入るところだったんだから当然だけど、素っ裸でこっちの世界にやってきた。そんなおれの唯一のおともが、これだ。
「だって、外した時にスタツアしたら困るだろ」
 こちらに来る際の入り口が水である以上、風呂だからって油断ならない。
 現に今日だってそうだ、危ないところだった。
「大切にしてくださっていて嬉しいよ」
 何かおかしなことを言っただろうか。クスクスと彼が笑った理由はわからないながらも、何やら居心地が悪くて、おれはつい言葉を重ねた。
「大切するに決まってるだろ。あんたがくれたんだから」
 元は彼が大切にしていたものだ。だったら、おれが彼の分まで大切にしなければ。
 今ではもう身に着けていることが当たり前になりつつある胸にある石を握ると、綻んだ口元はそのままに笑い声を止めた。


「さあ、風邪を引くといけない。城に戻りましょう」
「そういえば、ここ、どこ?」
「城内ですよ。裏手なので陛下ははじめてかもしれませんが、小さな泉があるんです」
「へえ。って、うわっ」
 タオルに包まれたままの身体が急に宙へと浮いた。慌てるおれとは対照的に、落ち着き払った様子の彼が、おれを落とすことなく運び始める。
「待って、歩けるから」
「裸足で歩いたら怪我をしますよ」
 素っ裸にタオル一枚というのも恥ずかしいが、それ以上に抱っこというのも恥ずかしい。いまはまだ人目がないとはいえ、城の中に入ればきっといろんな人の目にとまる。
「じゃあ、靴持ってきて。待ってるから。ついでに服も」
 いつもはおれのお願いを二つ返事で聞いてくれる名付け親が、どういうことか今日ばかりはまったく聞く耳をもってくれない。
「ダメですよ。こんなところにあなたを一人、置いておけない」
「こんなところって、城内だろ。なあ、コンラッド」
「あとでどんなお願いも聞いてあげますから」
 今はダメです、と有無を言わさぬ笑顔を向けられて、黙らされてしまった。
 おれにできることはといえば、なるべく人目につかないことを祈りながら、なるべく小さくした身体を名付け親に寄せることだけだ。


(2015/02/12〜2015/04/24)