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「……ねむい」
 呟いた声は、言葉を裏打ちするように小さくて弱かった。
「着替えるまで我慢してください。そうしたら、好きなだけ眠っていいから」
 半ば抱えるようにして部屋まで連れて帰ったものの、手を離したら倒れてしまいそうだ。
 コンラートは片時も目を離せない主を片手に抱きながら、クローゼットから着替えを取り出した。
「ほら、陛下。もう少しがんばって」
「へいかって、ゆーな」
 どうやら、コンラートの声は届いているらしい。
 けれど、腕を持ち上げることさえ億劫なのか、彼がすることと言えばコンラートにもたれかかることだけだ。
 胸で彼の背を受け止めながら、両腕を前に回した。
 ぼんやりとした主の頭は、時折うつらうつらと揺れている。
 そろそろ限界が近いようだ。
「脱がせますからね」
「んー……」
 一言、断りを入れてはみたが、返されたのは意味を成さない吐息交じりのものだった。
 ボタンをはずすため、 少し屈んだコンラッドの頬をやわらかな髪が撫でていく。
 腕の中の体温は、ねむいせいかいつもより高い。
「あまり無防備すぎないでください」
 当たり前のように胸に飛び込んできた、すっぽりと腕に収まってしまう身体は、あまりにも無防備だ。
 信頼されているからだと分かってはいる。その信頼がうれしいと感じるのは確かだけれど。
 それだけではない気持ちを自覚すれば、コンラートの笑みに少しだけ苦いものが混ざるのだった。



「こっちへ来ませんか」
「アッ、ハイ」
 笑みまじりに誘われて、ユーリはぎこちなく立ち上がった。
 遊びに来たコンラートの部屋。いつもならば隣に座る二人がけのソファの片側が空いているのは、ユーリの座る位置が異なるせいだ。
 不自然だとユーリ自身も感じてはいたけれど、恋人同士の逢瀬だと意識すればこそ、どうしても近くにいくことがためらわれたのだ。
 別に嫌なわけではない。むしろ、逆だ。ただ、コンラートはいつも通りに見える分だけ、あれこれ期待してしまう自分が恥ずかしいだけで。
 彼を好きだと自覚する前。何も考えずに隣に座って、もたれかかったり、じゃれあったりできていた事実が信じられない。
「そっちじゃなくて、こっちに」
「へっ?」
 腰を下ろそうとした途端に手を引かれて、バランスを崩が崩れた。両目を閉じてそなえた衝撃がおとずれることはなく、恐る恐る目を開けたユーリは自分がコンラートの膝の上に座り込んだのだと気づいた。
「わっ、ごめ」
 慌てて起き上がろうとした身体が、動かない。
 どうして、と問いかけようとしたユーリは、近い位置にあるコンラートの顔がさらに近づくのに気づいて目を瞠った。
 少しずつ視界がかげるのを感じながら、目の前の整った顔を見ていた。
「……ぁ」
「……」
 形のよい唇が、小さく動く。
 それが、自分の名前だと気づいたのは、ユーリの唇へと触れてから離れたあとでもう一度呼びかけられてからだった。
「ユーリ?」
「なん、で……」
 唇が、触れ合った。
 付き合いだしてから、それなりに時間が経った。何度もデートを重ねたけれど、せいぜい手をつなぐぐらいだったのに。
「なんでって。そりゃあ、せっかく恋人が部屋に来てくれたんですから、触れたいって思うのは当然でしょう?」
 言いながら、ユーリの背後にまわった手が、背中を撫でる。
 同時にぐっと後ろから押された身体が、そのまま目の前の広い胸にもたれ掛かった。
「したくなかった?」
 尋ねてくる声は、やさしい。けれど、少しだけ熱っぽく聞こえるのは気のせいだろうか。
 耳にかかる吐息が熱くて、ユーリは自身の耳まで熱を持つのを感じながら、ぶんぶんと首を振った。



 ユーリの服を脱がせた時にかけた時間とは比べ物にならないほどあっさりと自らの服を脱いだコンラートは、じっと向けられた視線に気づいて首をかしげた。
「コンラッドの身体、すごいな」
「ああ、あちこち傷だらけでしょう?」
 彼が気にするだろうからあまり見せたくなくて明かりを少なめにしたのだけれど、それでも隠し切れるものではない。
 苦笑交じりの返事をすれば、ちがうのだと返された。
「そうじゃなくて、鍛えられてるなって。筋肉のつき方がすごく綺麗だ」
「ありがとうございます」
 人種的なものもあるのだろうけれど、ユーリとコンラートではまるで違う。
 横たわっていた身体を起こしたユーリが、コンラートの肌へと手を伸ばした。
 遠慮がなくぺたぺたと触れる手は、これからしようとする行為とは程遠いほど、かわいらしいものではあったのだけれど。
「すみませんが」
「あ、ごめん。触られるの、嫌だった?」
 強引に手をとられたユーリが、申し訳なさそうに眉を下げるものだから、コンラートは困ったように息を吐いた。 やわらかい指先で恋人の肌に無邪気に触れて、どうなるのか分かっているのか。
「違いますよ。あんまり煽らないでくださいってことです」
「え、そういうつもりじゃ」
「どんなつもりでも、俺がそう感じたなら同じでしょう?」
 わたわたと慌てだすユーリの手を離さぬままに、コンラートは彼の指先へと口付けた。


(2015/10/09〜2019/08/31)