大切な人を……


 それなのに、足を向けてしまった理由は自分でもよく分からない。
 にぎわう街角にたたずむ一軒の店の看板に「占」の文字を見つけたおれは、しばらくそれを眺め、店の中に足を踏み入れた。
 薄暗い店内は、妙に気温が低い。小さな机越し、促されるままに向かいに腰を下ろすと、挑むように占い師と向き合った。
「いらっしゃいませ。あら、素敵なお客さんだこと。どんな占いをご希望ですか?」
 透ける布で顔の下半分を覆った若い女性が、目元を細めて笑う。ミステリアスなその様子が、もしかしたら客に説得力を与えているのかもしれない。
「探し……いや、未来、かな」
 浮かんだ姿を苦笑で打ち消し、幅広い対象を告げた。探し人は、わざわざ聞くことはないだろう。
「あなたの過去に起こったことが、未来に大きな影響を与えています」
 彼女がテーブルの上に置いた大きな円形のガラス玉に手をかざしながら目を伏せたのを待って、おれも黙る。生憎、おれにはそのガラス玉の中にはなにも見ることができなかった。
 何かを探すようなゆっくりとした口調と甘い声は、なにかの催眠術のようだ。
「あなたは、過去に大切な人を失いましたね」
 大切な人、のフレーズに浮かぶのは、さっき口にしかけた探し日と。
 おれの緊張が伝わったのか、彼女は口元を緩めた。その表情の変化をおれなんかに気づかれるあたりが、素人だ。
 以前、お忍びの際に彼と一緒に入った店では、髪と目を隠すためにフードをとることができず、顔が見せられないものを占いことはできないと断られた。
 今日は髪を粉で染め、色付のガラス片をはめている。どちらにしろ、本当の姿でないことにはかわりないのだが、薄暗い店内で彼女がそれに気づいた様子はない。
「多かれ少なかれ、人は別れを経験するものです。過去にとらわれず、どうか新たな未来だけを見つめれば、きっとあなたの未来には幸福が訪れるでしょう」
 きっと、おれが何かに悩んでいて、無意識に背中を押して欲しいと考えていたら、大喜びするんだろうな。
 甘い言葉を聞き流しながらうなずいて見せると、彼女はその後もいくつか、ありがたいお言葉をくれた。
 きっちり十分ほどで彼女の言葉は終わりを迎えた。ちなみにこれは、おれの前に並んでいたおっさんの占いにかかったのと同じぐらいの時間だ。
「ありがとう」
「信じれば、きっと良い未来がおとずれるでしょう」
 感謝されることに慣れているのだろう彼女は、おれの心のこもらない言葉に気づくことなく、優雅に微笑んでみせた。



 財布から取り出した代金を彼女に手渡し、立ち上がる際に、ふといたずら心が芽生えた。
「実はおれも占いができるんだ」
 もちろん嘘だし、嘘だとばれてもばれなくても構わなかった。
「あんた、南の方から旅をしてきただろう? ここに来る前には、魔族の国を通ってきたのかな。ありきたりな言葉の素人占いは、身を滅ぼすよ」
 言いたいことだけ言い切ったおれは、占い師の格好をした女性の返事を待たずに立ち上がった。



 やっぱり、占いなんて信じられない。
 あんな占い師もどきに言われた言葉、信じる必要もない。
 おれは、大切なものを失ってなんていない。
 失うつもりもない。
 いまはまだ、共に歩くことができなくとも。
 いつか、ちゃんと取り戻す。
 一歩、店の外に出れば雰囲気はがらりと変わる。余韻を振り切るように、おれは雑踏に紛れて歩き出した。


(write:2011.07.22/up:2012.07.22)