play possum


 明かりの消えた部屋の中、寝返りをうとうとして身じろいだだけで終わったのは、しっかりと身体を拘束する重しのせいだ。
 正面から伸びた長い腕はおれの背中にまわされたまま、ぴくりとも動かない。
「……」
 小さくため息をついて恨みがましい視線を送ってはみるけれど、恨みたい相手は一向に起きる気配がなく、おれはどうしたものかと視線を彷徨わせた。
『今夜、部屋へいらっしゃいませんか?』
 そう言っておれを誘ったのは彼――コンラッドだというのに、肝心の彼は少しだけ他愛のない話をした後で、眠りましょうとあっさりおれをベッドに押し込んだ。
 期待をしていなかったと言えば嘘になる。だって、わざわざ部屋に誘われたんだ、これで期待しない方がおかしいだろう?
 それなのに「おやすみなさい」と挨拶するなり、すぐに寝息を立てられたら、おれの立場はどうなるんだ。
 恨みたい気持ちが半分、拍子抜けが半分といったところか。起こしたい気もしたけれど、起こした理由を問われてしまったら、ちょっと言いにくい。
 コンラッドがおれを置いて寝てしまうのは初めてのことで、おれは気持ちを切り替えて彼の寝顔を観察することにした。
「本当に寝てる?」
 小声で聞いてみるけれど、返事はない。狸寝入りを疑って、じっと見つめてみるがこれといっておかしなところもない。繰り返される小さな寝息は規則的なまま、ゆっくりと大きく彼の胸を上下させている。
「なんだよ、ひとりで先に寝やがって。おれだけ置いてきぼりかよ」
 こんな風に至近距離で彼の顔を見つめる機会なんて、あまりない。近づくことはあるけれど、それは同じ距離で見つめ返されることを意味しているからだ。
 あの目に見つめられながら、じっくり見つめ返す余裕なんてあるわけがない。彼の瞳は、夜空の星みたいに不思議な輝き方して、いつだっておれから平常心を奪う。
 起こさないように息を潜めながら、そっと手を伸ばす。窮屈な腕の中から、なるべく彼を刺激しにように。
 闇の中ではあるけれど慣れてきた視界で、ほんの少し彼の眉の傷に触れて、すぐに引っ込めた。
「……」
 さすがに起きるだろうかと見守った先の彼は相変わらず規則正しい寝息をたてている。幸いにも起こさずに済んだようだ。
 改めてまじまじと見つめた顔は、とても整って見えた。通った鼻筋も、薄く開かれた唇も、意外と長い睫も、パーツの全部が綺麗だなと思う。こちらの世界の人たちはみんな見目がいいから、もっと綺麗な人もかっこいい人もいるけれど、一番好きな顔はどれかと聞かれれば答えは間違いなく一つ。その中でも、一番好き好きなのは、今は隠れている彼の瞳だ。
 飽きもせずに見つめ続けても、一向に開く気配がない。安心したような残念なような気持ちを抱えたおれは、たまにはいいかと自分に言い聞かせて腕の中でもぞもぞと寝やすい位置を探した。
 おやすみ、と起こさぬように唇の動きのみで挨拶をして、目を閉じる。
 だが。
「キスしてくださらないんですか?」
 まるで聞こえていたかのような返事が返ってきて、閉じたばかりの目を開いた。
「へっ?」
 さっきまで、しっかりと閉じられていた。開く気配は一向になかった瞳が、いまはこちらに向けられている。薄闇の中でもきらきらと輝く様は、まるでなにか楽しんでいるかのように。
「あなたがあまりに熱い視線を送ってくださるから、いつしてくれるのかなと待ってたんですが」
「起きてたのかよ!」
 おかしいと思った。気配に聡い彼が、おれに触れられて気づかないわけがないのだ。いや、それ依然に最初から眠っていたのかも怪しい。
 気づかない自分が悪いのか。それでも、からかわれていたのかと思えば些か腹立たしい。
 じろりと睨んだ先の彼は相変わらず何が楽しいのか、期待を込めた視線をこちらに向けてくる。何を期待しているのかはさっき言われたけれど、しないから。そんな恥ずかしいこと、できるわけがないから。
「そりゃ、まあ。あなたより先に眠れるわけないでしょう。でも、今日のあなたは忙しかったし、お疲れのようだからゆっくり眠らせてさしあげようかなと思ったんですよ」
 確かに今日はちょっと忙しかった。しかも夕食の後にまで絵のモデルになれとヴォルフに追いかけられたりして、へとへとだったけど。
「だったら、そう言ってくればいいのに。なにも寝たふりなんてすることないだろ」
「言って、もしあなたに「大丈夫」なんて言われたりしたら、遠慮できないでしょう?」
 当然って感じで言い切られて、ぽかんと目と口を開いたおれは、ちょっと間抜けな顔をしていたと思う。フリーズするおれにお構いなしに、コンラッドの顔が近づいてきた。
 至近距離ーーそれは見つめるチャンスではあるけれど、見つめ返されることを意味していて、我に返ったおれはやっぱりドキドキしながら目を閉じてしまう。
 おれと彼の間で、ちゅ、と音がして、すぐに唇は離れていったけれど、かわりとばかりにおれを拘束していた腕の力が強まって、彼の胸に唇をぶつけた。
「眠りましょう。このままだと、本当に寝かせてあげられなくなってしまいますから。お楽しみは、また明日」
「明日って……」
「明日も来てくださるんでしょう?」
 当然のように聞いてくるのが、憎たらしい。
「……考えとく」
 素直に肯定するのはあまりにも彼のペースだから、言葉を濁した。
 明日は、彼が今日そうしたように、おれが先に寝てしまおうか。そんな嘘は、彼にはすぐに見抜かれてしまうだろうか。
 少しぐらい、おれと同じ気持ちになればいい。
 楽しい想像をしながら、目を閉じる。
 すぐ目の前の穏やかな心臓の音に耳をすませていれば、眠りの淵はすぐそこだ。


(write:2012.07.22/up:2013.07.22)