式前
「ウェラー卿、あの」
コンラートが扉へと近づくと、扉の前に立つ護衛の兵がにわかに慌てた。本来ならばこの部屋の中にいるお方の護衛はコンラートの仕事なのだが、今日ばかりはそういうわけにもいかないので、と抜擢された彼らは仕事に忠実だ。
通していいものか悩む彼らに、人差し指を立てることで共犯になってもらい、コンラートはドアを軽くノックした。
「失礼しますよ」
はーい、という軽い返事を待って部屋に入る。
どうやらタイミングがよかったようで、ちょうど魔王陛下の支度が終わったようだ。
「申し訳ないけれど」
コンラートは先ほどの兵士へしたのと同じお願いをして侍女たちを部屋から下がらせた。
「あんたも準備終わったの?」
鏡の前に立たされていた魔王陛下が振り向いた。
いつもと同じ黒い詰襟の正装姿ではあるけれど、今日は『特別』なのでそれだけではない。多くの宝石をあしらった王冠に、赤い重厚なマント。いつも以上に血色の良い頬や唇が、化粧もほどこされていることを示していた。
「俺は、あなたほど準備がないので。それでも、いつもよりはかかりましたが」
白を基調とした正装は、夜会などで身に纏っていたものと同じだが、『特別』な本日のためにいつもより装飾品が多い。整髪剤をつけて丁寧に撫で付けた髪も、正装時ならではのものだ。
「おかしいところはないですか?」
自分でもおかしなところはないか何度も確認したが、やはり一番気になるのは、いま目の前にいる人の視線なので。
彼からの視線を感じて、コンラートは自らの姿を見せるように両手を広げた。
「いやいや、全然おかしくないし。むしろ、すっげーよく似合ってるし。っていうか、かっこいいっていうか。なんかもう、さすが元プリっていうか」
これ以上ないほどの賛辞を受け、コンラートはうれしげに微笑んだ。
「あなたこそ、とてもよくお似合いですよ。惚れ直しますね」
恭しく腰を折り、手をとった。
先ほどの侍女たちに、文字通り爪の先まで手入れされたらしい。一回り小さな彼の手の甲に唇を押し付ければ、びっくりしたように引っ込められてしまった。
「ってか、どうしたんだよ、コンラッド。式の前に会っちゃいけないってギュンターが……」
照れ隠しに話を変えようとしているのだとバレバレだったけれど、コンラートは頬を緩めて、話に乗ることにした。
「ああ、それはですね」
前日、二人そろってギュンターから何度も注意されたことだったが、その理由までは説明がなかった。ただ、「恐ろしいことが起こります」と鬼気迫る顔で言われただけあって、彼には効果があったようだ。
実際、こうしてコンラートがここにいることが知られたら叱られるのかもしれないが、彼が心配するようなことではないとコンラートは知っていた。
「別にしきたりと言うわけではないんですよ」
「あれ、そうなの? ギュンターがあんまり脅すから、おれ、てっきりこの国の古いしきたりか何かかと思ったんだけど。破ったら眞王陛下のバチがあたる、みたいな」
「これから幸せになろうとする二人に、そんなことでバチを与えるほど眞王陛下の心は狭くないと思いますよ。前魔王陛下が式の時間になっても伴侶殿と部屋に閉じこもってなかなか出てきてくれなかったおかげで、式のスケジュールが大きく狂ってしまったからってだけで」
言ってしまえば大したことではない。いや、式を進行する側からすれば、重大なことなのだろうが、愛し合う二人にとっては些細なことだったのだろう。
もちもん、前魔王陛下というのは二人がよく知る人物だ。
「は、ははは……。さすがツェリ様、情熱的デスネ。ってことは」
「そう。だから、少しだけなら大丈夫ですよ」
コンラートが片目を閉じてみせると、安心したように目の前の肩から力が抜けた。
「ならよかった。でも、迎えに来るにしては、ちょっと早いよな」
招待客の案内などは既に始まってはいるものの、魔王陛下とコンラート 本日の主役が呼ばれるのはもっと先の予定だ。
当代魔王陛下と前魔王陛下の三男との突然の婚約破棄に国民が悲しんだのはもう何年も前のこと。その後は浮いた話が何一つなかった魔王陛下が、護衛であり前魔王陛下の次男でもあるウェラー卿との結婚を発表してから今日でちょうど一年。
ようやく、この日に至ることとなった。
本日は眞魔国第二十七代目魔王陛下の結婚式である。
「それで、どうしたんだよ、コンラッド」
まっすぐに見あげてくる瞳に不思議そうに問いかけられて、コンラートは訪ねてきた理由を思い出した。
「結婚式の前に、どうしてもあなたに伝えたいことがありまして」
「なんだよ、急に改まっちゃって。緊張するだろ」
そう言う彼の方も、コンラートの改まった雰囲気を察してか背筋を伸ばした。
魔王陛下の結婚ともなれば国をあげての一大行事となる。だから、そろそろよい頃合ではないかと周りに勧められるままに二人で結婚を決めた後もすぐに結婚とはいかず、一年かけて準備をしてきた。
つまり、彼にプロポーズをしたのも一年前になる。何度も繰り返し伝えてきた想いだが、どうしても今、もう一度伝えておきたくて。
「あなたを愛しています」
まん丸い、まっ黒な瞳が、コンラートを見ていた。
彼とこの国で再会した頃には目立った幼さは今はなりを潜めて、もうすっかり立派な魔王陛下となられた。たくさんの時間を共に過ごしても、コンラートの気持ちはずっと変わることがない。
「なんだよ、急に。そんなの、知ってるし……だから、結婚するんだろ」
「ええ。それでも、ちゃんと伝えておきたくて」
先ほど口付けた手を取り、両手で握った。
一度はこの手を取ることを諦めようとしたこともあったけれど、もう悩むことはやめたのだ。そんなことでは、彼を幸せにすることはできない。何より、コンラートにとって彼はなくてはならない存在だから。
「俺の持てるすべてであなたを幸せにします。だから、俺と結婚してください」
魔王陛下の結婚式は、一般のそれとは意味合いが異なる。もちろん主役は本人たちだが、国のためであり、国民のためという意味合いも強い。
「眞王陛下に誓いを立てる前に、あなたに誓っておきたくて」
こうして、二人でいる間に伝えたかったのだと言葉を重ねると、みるみる目の前の表情が変わっていった。
ただ、想像していたものとは違う変化に気づいて、コンラートは伴侶となる人の顔を覗き込んだ。
「ユーリ?」
「なんだよ、それ」
自分は何か彼の不興を買っただろうか。
振り払われた手の平を見つめるコンラートは、違うだろう、という叱責の声に目を瞠った。
「なんか違うだろ。おれは、あんたに幸せにして貰いたくて結婚するんじゃなくって、あんたと一緒に幸せになるために結婚するんだからな!」
どちらかが一方的にではないのだと告げる彼は真剣で、とても一生懸命で、そして何より全身でコンラートのことが好きだと訴えていた。
「すみません」
謝りながらコンラートは、自分が泣きたいのか笑いたいのか分からなかった。ただ、気づけば目の前の細い身体を抱きしめていた。
コンラートよりも一回り小さくて、力を入れれば折れてしまうかもしれないと時折恐ろしくなるほどなのに、彼の中身はとてもしなやかで、こんなにも強く、いとおしい。
「でもね、ユーリ。俺はあなたがいてくださるだけで、もうずっと前から幸せなんですよ」
今だって、こんなにも幸せだ。
彼はいつだって簡単にコンラートを幸せにしてしまう。過分なほどの幸せを胸に、コンラートはどうしたら彼を幸せにできるのか悩んでばかりだ。生涯をかけて探し続けたいとも思っている。
コンラートのすべては、彼のためにあるのだから。
「おれだってそうだよ」
あまり強く抱きしめてはせっかくの正装が崩れてしまうと頭では理解していながらも、彼を離すことができずにいた。そんなコンラートの背に、同じぐらいの強さで腕がまわされた。
「じゃあ、ずっと一緒にいよう」
「はい」
彼が笑うから、コンラートは胸が苦しくなるのを感じながら笑い返した。
一緒にいるだけで幸せになれるのならば、お互いが幸せになるための方法は一つだけだ。
病めるときも健やかなるときも死が二人をわかつまで。
大切な人と誓いを交わすため、コンラートは腰を屈めた。
「困ったな」
もうすぐ伴侶となる人を抱きしめたまま、コンラートは一人ごちるように呟いた。
どうした、と間近の距離で見上げてくる瞳を見つめ返して、困ったように眉を下げる。
「前魔王陛下が結婚式に遅刻した理由が分かる気がします」
離しがたいぬくもりを腕にしたコンラートはとても真面目だったのだが、冗談だと思ったらしき魔王陛下に足を踏まれてしまった。
そのささやかな痛みにさえ幸福を見つけてしまうのだから、コンラートはこれからの幸せに感謝するのだった。
(write:2015.07.22/up:2016.07.01)