初夜
「もう、だめだ……」
呟くなりソファに倒れ込んだのは、コンラートの名付け子であり、仕えるべき主であり、そして今日からコンラートの伴侶となった人だった。
どうやら部屋へと戻って着替えをするのに最後の気力を使い果たしてしまったらしい。
コンラートは脱ぎ捨てられたばかりのマントを片づけながら、ぐったりした姿をみて目を細めた。
「お疲れですね」
「んー……」
今日は朝早くから支度をし、眞王廟での式典、国民へのお披露目、国内外のゲストを招いた食事会、舞踏会からの酒宴と、なかなかにハードなスケジュールだった。
主役として一番注目される立場である以上、席を外すことなどできるはずもなく、一日動き回ったのだから疲れ果てるのも無理はない。
「お疲れさまでした」
「あんたもお疲れさま」
ベッドに運ぶべきか思案しながら労るように声をかけると、疲れを滲ませながらも笑みが返された。
「あんたもお疲れさま」
どこか夢をみているような、ふわふわとした笑みに見惚れてしまった後で我に返ったコンラートは、誘われるようにソファへ近づいた。
「なんだかご機嫌ですね」
「やっと結婚したんだなと思って」
言いながら左手を持ち上げた彼の視線が、掲げられた左手に移る。薬指にはまった真新しいリングは、コンラートの左の薬指にはまっているものとまったく同じデザインだった。世界に二つしかない、自分たちが結婚をしたという証。
「ええ、そうですね」
左手をとって、薬指に口づけた。
ふわふわとしたままの彼の目許や頬にもキスをおくったコンラートは、唇に触れたところで微かな匂いに気づいた。
「お酒、飲みました?」
「ああ、うん。祝いの席だからって、ちょっとだけ、な。もう未成年ってわけでもないし」
どうやらふわふわしていたのは、幸せに浸っているからだけではなかったらしい。
身長を伸ばすための禁酒は、二十歳を迎えるにあたって終了している。とはいえ、あまり強くないのを本人も自覚しているので本当に少し口をつけた程度なのだろうが。
「いつの間に。では、余計に眠いでしょう。ベッドに運びましょうか?」
「んー……」
明日は今日ほどタイトなスケジュールではないとはいえ、魔王陛下の結婚を祝うために諸外国から集まった代表者との謁見が待っている。
今夜は早めに休むべきだと判断して問いかければ、何とも気のない返事が返された。
「ユーリ?」
「……寝たくない」
「昨夜もそんなことを言って、ほとんど寝てないじゃないですか。今日はダメですよ」
眠ったのは明け方、空が白みがかってからだった。今日は緊張で眠気を感じる余裕さえなかったからよかったが、それが二日目ともなればそうもいくまい。明日、辛くなるのは目に見えている。
「一緒に寝ましょうか。さすがに今日は俺もくたくたです」
ソファから起き上がろうとしない彼も、コンラートが眠るとなれば意地を張ったりしないだろう。
もちろんコンラートだって彼ともう少し二人きりの時間を過ごしたいのだが、彼の立場を考えればそうも言っていられない。
眠る準備を、と片づけを急ぎ始めたコンラートは、どん、と背後から衝撃を受けて目を瞠った。
「ユーリ?」
振り向いてみるが、背中に埋められてしまっては顔も見えない。
「何をなさってるんですか?」
後ろから身体を押されているのを感じるのだが、コンラートの一回り大きな身体を動かすには至らない。ぎゅうぎゅうとしがみついてくる人の意図がわからずにコンラートは首をかしげた。
「どうしました?」
「何で倒れないんだよ」
倒れた方がよかっただろうか。だが、ここで倒れるとなると、倒れる先というのは床になる。
足元を見下ろし、もう一度振り返ったコンラートは、顔を見せてくれない人が腹にまわした手へと己の手を重ねた。
「ひとが、せっかく押し倒してるのに」
背中に顔を押し付けているのだろう、くぐもった声が耳に届いて、コンラートは固まり、驚きのあまり足元をよろけさせた。
「押し倒そうとしてたんですか!? 酔ってます?」
「そんなに酔ってない。なんだよ、もう」
もういい、と拗ねたように離れようとした手を慌てて掴んだコンラートは、振り向きざまに引き寄せた。胸の中に転がってきた人を抱きしめながら、どうしてくれよう、と頭の中をそればかりが駆け巡る。
「せっかくの、初夜なのに」
「すみません。それで、眠りたくないっておっしゃってたんですね」
寝かせてあげなければ、でも。
コンラートの葛藤など知らない人が「もう寝る」と繰り返すのを聞きながら、コンラートは僅かに眉を寄せ、それから腕の中の身体を抱き上げた。
「わっ。離せって、おれは寝るんだから」
「離せるはずないでしょう」
コンラート自身も疲れていた……はずなのだが、もう眠れそうにない。
「疲れているだろうから、寝かせてあげようと思ったのに」
抱き上げた時は強引で、歩く歩幅も大きかったが、ベッドへと近づいてからはそうっと優しく。宝物にそうするように、そっとベッドに横たえた大切な人の髪を梳き、額に頬に瞼にと雨のごとくキスを降らせた。
そうしているうちに、くすぐったそうな笑い声が寝息に変わってしまったのだけれど。
「仕方ないな」
呟いたコンラートの表情は、言葉とは裏腹にひどく幸せそうなものだった。
(write:2015.07.22/up:2016.07.01)