定位置


 我らが魔王陛下は、歩く姿さえ元気だ。
 さすが軍人さんは姿勢がいいと常日頃からコンラートを褒めてくれるユーリだが、コンラートに言わせれば彼の姿勢の良さもなかなかのものだ。
 いつでも前をしっかり見据える彼の姿は見ていて気持ちがいい。それは、城の中の僅かな移動でも変わらない。
 もちろん、今もそうだ。腕を振って歩く姿は見る者すべてに元気を与えてくれる。すれ違う兵士やメイドたちの表情がその証拠で、当代魔王陛下が即位してから城内の雰囲気は随分と変わった。
 目の前を歩く魔王陛下の足取りがいつもの三割り増しに軽く見えるのは、向かう先が中庭で、彼の手にグローブと白球があるからかもしれないが。
「うーん」
 直前まで元気に歩いていたユーリが、突然くるりと振り向いた。
「おっと」
 張り付くようにして後ろを歩いていたコンラートも、すかさず足を止める。もう一歩遅ければ、彼にぶつかっていたタイミングだ。
 こういうことはよくあって、いつも唐突に立ち止まったり走り出したりとコンラートを翻弄する護衛泣かせな主人だから、城の中とはいえまったく気が抜けない。もちろん、抜く気もないけれど。
「どうしました?」
 ぶつかる寸前だったことに気付かない彼に胸の高さから見上げられて、コンラートは緩く首をかしげた。
 歩きながらであったり立ち止まったり状況はその時々であるけれど、彼はいつもこうして振り返る。そのままだって会話はできるのに、こちらの目を見ようとするのだ。
 曰く、相手の目を見て話さないと伝わらないから、ということらしい。ご両親の教育のたまものだろう。育ちの良さが窺える。
 頭ひとつ分の距離を埋めるべく、胸のすぐ前から痛くなるのではないかというほどに首を上向ける様子につい口許が緩む。
「コンラッド。なに笑ってるんだよ」
「いえ、なんでもないです」
「なんだよ。思い出し笑い? やらしーなー」
「そういうわけじゃないんだけどね」
 ただ、あなたがかわいくて……なんて言うのは簡単だけれど、きっともっと怒るだろうから、咎める声にコンラートは何でもないのだと誤魔化した。
「それで、どうしたんですか?」
「いつも不思議なんだけどさー、なんであんたは隣を歩かないわけ?」
「ああ」
 なるほど。可愛らしい質問に、再び緩みそうになる頬を引き締める。
 コンラートにとっては当たり前のことでも、彼にとっては違うのだろう。彼が育った日本は民間人の武器の携帯が法律で禁じられるぐらい、とても平和な国だと聞いていたから無理もない。
 ユーリの右後方。手を伸ばせば届くぐらいの距離がコンラートの定位置だ。
「それはですね」
 背後から襲われたときには盾となり、前から襲われたときは、すぐに彼を左手で押し退けて前に出る。右側に立つのは、剣を右手で抜きやすくするためでもある。
「この位置が一番あなたを護りやすいんです」
 平たく言えば、そういうことだ。詳細を省いて結論だけを告げると、彼の真っ黒な瞳が一度瞬いた。
「城の中なのに?」
 不思議そうに問いかけてくる表情があどけない。
「城の中でも、です」
「そっかー」
 なにやら考えるように、小さく唸る。両手が空いていたら腕でも組んでいたかもしれない。
 不満そうな、それでいて仕方ないなと言いたげな表情は、納得したというよりは、無理矢理納得させているようでもあった。
「隣にいた方が喋りやすいのにな」
 隣を歩きたいのだと暗に言われて、心が弾む。けれど、護衛としては彼の安全より優先されるものはない。
「そう変わりませんよ」
 気持ちとしては、いつも彼の隣に寄り添っているのだから。
「えー、変わるだろ」
 まだ納得できない彼の肩に手を置いて、前を向くようにそっと促す。彼との会話も楽しいが、残念なことに時間は有限で、楽しい時ほど不足しがちだ。
「さあ、早く行かないと休憩時間がなくなりますよ」
 目的を思い出して慌てて歩きだす彼の後に続いた。彼の歩幅に合わせて歩く。
 彼の右後方。それは、彼が思うほど悪いものじゃない。
 手を伸ばせば届く距離は、気を抜けば彼にぶつかる距離でもあるけれど、彼の一番近くにいられる距離でもあるのだから。
「あ、そうだ」
 また、ユーリが振り返る。時間がないのは分かっているので、今度は足を止めないまま。
「前を向かないと転びますよ」
「へーきへーき」
 前を向いたままでだって会話はできるのに、こうして振り向いてくれる彼の姿を見られるのも、役得だ。
 ギュンターやヴォルフラムあたりが見たら、行儀が悪いと怒りそうだが、幸いにも今は自分たちだけ。彼の行き先は、コンラートが気をつければいい。
 つい、窘める声が甘くなる。


 足取り軽く歩く人の後ろ姿を眺めながら、後ろを歩く。いまにも鼻歌を歌い出しそうな姿に、口許が自然と緩む。
 そして、彼の進む先にも目を向けた。
 彼が見ている景色を彼の背中越しに見られるこの位置が好きだと告げたら、彼はどんな顔をするのだろうか。


(write:2017.07.22/up:2018.07.01)