帰還 −1.ヴォルフラム−
ウェラー卿コンラートの帰還。
夜間であったにもかかわらず兵士のもたらした報告は、瞬く間に血盟城内を駆け抜けた。
拘束され処刑か、最低でも投獄をも覚悟していたコンラートであったが、兵士に案内された先は意外にも謁見の間だった。
信頼を寄せていた魔王に仇をなし他国へと出奔した裏切り者の汚名は、魔王本人の言葉により晴らされた。
ウェラー卿は、ひとまず城内の自室に謹慎。今後のウェラー卿自身の報告と、城から派遣する諜報員の調査結果から、彼の身の潔白が晴らされればまた以前の地位に戻ることも可能とする。
さすがに魔王の言葉を全て受け入れる十貴族ではなかったが、魔王自身がそのことを理解した上で冷静な対応を示したために大きな反対意見はでなかった。
突然の裏切りは彼を信頼していた魔王や側近達を戸惑わせ、突然の帰還は安堵と共に混乱を招いた。
夜も遅いために詳しい報告は翌日となった。
魔王が去った謁見の間に、沈黙が訪れた。
信じたい気持ち、信じられない気持ち、裏切られた悲しみ、還って来た安堵、様々な感情が入り乱れ、誰もがそれを上手く言葉にできずにいた。
「コンラート」
最初に沈黙を破ったのは、ヴォルフラムだった。
靴音を響かせながら兄へと近づく彼は、美しい顔を怒りに歪ませていた。
誰もが息を呑んで成り行きを見守る中、彼は振り上げた拳を力任せにコンラートの頬へと振り下ろす。
咄嗟のことに避けることができなかったのか、避けるつもりもなかったのか、僅かに目を見開いたままコンラートは彼の拳を受け入れた。倒れるような無様は見せなかったが、細腕から繰り出されたとは思えぬ威力に数歩よろめく。
室内がざわめいた。
「ヴォルフ…?」
「コンラート、貴様っ…」
襟首を掴まれ、壁際に押し付けられた。
見下ろすと震える肩が視界に入り、彼の怒りを伝えてきた。
周りの者たちが息をのむ。成り行きを見守っている誰一人、止める者はいなかった。
皆、知っているのだ。
彼が、そして自分たちの主が、日々還らぬ人を想い心を痛めていたことを。
「ユーリに譲ろうと思っていたが、あいつが殴らないから、ぼくが殴る」
口端を切ったか、鉄の味がする。
「僕たちがどんな気持ちだったか、おまえに分かるか!?」
「ヴォルフ・・・」
収まらぬ怒りのまま、再び彼が拳を握り締めた。
「いまさらっ。なんで今更還って来たっ」
彼には殴る権利があったし、コンラートはその痛みを知らなければならない。
心の痛みと身体の痛みは決して同じではないけれど、ほんの僅かでも知らなければならないのだ。
「なんでもっと早く…っ」
二度目に振り上げられた拳は静止し。
コンラートの頬へと触れることなく、彼の胸を叩いた。
「次は…っ、次は…許さないからな…!」
変わらずに肩が震えていた。嗚咽が混じり、時折大きく震えた。
躊躇いがちに肩へとかけようとしたコンラートの手を彼は振り払い、見られる前にと目元を乱暴に拭い踵を返した。
次は、と言いながら自分の為に泣く背中を見送る。
殴られた頬が熱を持ち、痛みが罪を苛んだ。
(2009.08.06)