帰還 −4.ユーリ−
グウェンダルの部屋を辞して廊下を歩く。
懐かしい自室の前に、あってはならない姿を見つけ、コンラートは慌てて駆け寄った。
「どうしてこのような場所に?」
膝を抱えてしゃがみこんでいるのは、間違えるはずがない。この国の王だ。
周りに他者の気配はない。王が一人で出歩くなんて、無用心すぎる。
「入れてくれる?」
「…はい」
傍らで膝を付き、顔を覗き込むと漆黒の瞳に射竦められた。とがめる言葉は口に出る前に、消えていた。
「待ってたのに来ないから、自分から来た」
「すみません」
ランプに火を灯すと、出て行く前と何ら変わりのない部屋がそこにあった。
「言わなくても分かってると思うけど、俺は怒ってるから」
「…はい」
座るようにとの勧めを断った彼は、代わりに肩を押すようにしてコンラートをカウチに座らせた。
正面に立った彼の真っ直ぐな視線を感じ、コンラートは目を伏せた。
自らを落ち着かせるように、ゆっくりと息を吸い込む。
「どのような処分も、覚悟の上です」
彼を裏切ったこと。
何も言わずに出て行ったこと。
彼の手を拒んだこと。
そして、何よりも彼を傷つけたこと。
本意ではなかった。傷つけるためではなかったとはいえ、彼が傷つくかもしれない方法を選んだのは自分だ。
どんな罰も受け入れるつもりでいた。一瞬でも、彼の元へ還れるのならば。
「俺がそんなことしたがってると思ってるなら、殴るからな」
伏せたままの視界から、彼の手が消えた。代わりに与えられるかと思った痛みもない。
予想に反して、彼の手はゆっくりとコンラートの頬へと触れた。腫れた輪郭をなぞるように手のひらを押し当てる。怒っていると言いながら、痛みを感じさせない動きはひどく優しい。
まるで労わるかのように。
「傷ついたよ。ショックだったし。思い出すと今でも胸が痛い。全部あんたのせいな」
迷いのない言葉。
怒っているのだから、責めて、切り捨ててくれればいい。彼を煩わせる理由になりたいわけではない。
それなのに、彼は「でも」と続けるのだ。
「でも、還って来てくれて嬉しいんだ」
手が離れ温もりが消えたのは一瞬のことだった。
今度は、彼の両手がコンラートの頭を包み込み、その胸へと引き寄せた。
「あんたも傷ついただろう?俺の手を拒んだ時も、俺にひどい言葉を投げつけた時も、ここじゃないところで一人きりでいる時も、苦しかっただろう?」
思い出す。
還りたかった。
彼の為だと言い聞かせながら、でも彼のそばにいられないのが辛かった。
「俺には皆がいてくれた。一人で頑張るのは辛いだろう?あんたのことだから、一人でやれちゃうのかもしれないけど」
「俺は…」
「一人だけで全部抱え込もうとするなよ。俺も、みんなも、あんたが大事なんだよ。でもあんたはそんな俺たちの気持ちに気づかない。一人で傷つこうとするんだ」
彼の腕の中、彼の言葉に耳を傾ける。
彼の手を煩わせたくなかった。言えばきっと自ら動こうとする彼だ。彼だけではない、他の者たちも同じだ。
だから言えなかった。
そんな想いを、彼は全部受け止めてくれていたことを知った。
「俺、立派な王様になるから。あんたが一人で頑張らなくても良いように、俺が頑張るから…っ」
髪へと雫が落ちる。
彼の涙だと理解するよりも先に、コンラートは目の前の腰へと腕を回した。
「貴方は、いつだって最初から良い王です」
以前告げたのと同じ言葉は、本心からのものだ。
いつだって彼は、良き王になろうと努力していたのだ。たくさんの覚悟と責任をその小さな身体に抱えて、自分たちが期待する以上のことを返そうとしてくれる。
「すまない、ユーリ」
何故、手を離しても平気だなんて思えたのだろう。
「もう、俺を…おいてどこにもいくなっ…ぅ…、コンラ…ッド…」
「どこにも、いきません…。おそばに、いさせてください」
二度と、間違えません。
嗚咽を漏らす彼を、強く強く抱きしめた。
彼は王だ。これから先もきっと辛い道を歩み続けるのだろう。
次は間違えない。隣で、彼を支えたい、とコンラートは心から願った。
「ユーリ…、もう間違えません」
「うん…」
返事の代わりに、同じ強さで抱き返された。
抱き合ったまま、どれだけの時間がたったのだろうか。
「おかえり、コンラッド」
嗚咽混じりの、優しい声。
大きく息を吸い込むと、とても懐かしい彼の匂いがした。
「ただいま…、ユーリ」
やっと、還って来た。
(2009.08.09)