みせない一面の話





「手加減、されてる気がする」
 情事の後ーーしっとりと汗ばむ身体で抱き合ったままベッドに沈んだユーリは、髪を梳く恋人の手の心地よさに目を伏せながら、小さく呟いた。
 繰り返し髪に触れていた手が一度止まり、けれどすぐにまた動き出す。続きを促がされているように感じて、ユーリは言葉を探した。
「いつも、あんたはおれのことばっかりだから」
 恋人になって随分経つのに、コンラッドは変わらない。いつだって、やさしい。やさしすぎると言ってもいいほどだ。ユーリの反応のひとつひとつを拾いながら、丁寧に触れる行為は、たくさんの愛情を感じてうれしいのだけれど、うれしいだけではない気持ちもあって。自分の中にあるもやもやした感情が溢れたのが、さっきの呟きだった。
「あ、別に不満ってわけじゃないからな。ただ、その、なんてゆーか……」
 彼に対して、不満なんてない。そこを勘違いされたくなくて懸命に言葉を探すユーリを、コンラッドは決してせかさない。こういうところも、ユーリに自分がいかに大切にされていかを教えてくれる。
「あれだ。その……あんたは夜の帝王なのになって思ったんだ」
「夜の帝王って。まだ信じてたんですか? それは誤解ですって」
「否定しなくてもいいだろ。男にとっては名誉みたいなもんじゃん?」
 夜の帝王。
 その呼称に関する具体的ななにかを聞いたわけではないけれど、火のないところに煙は立たない。浮名を流すに至った何かが過去の彼にはあったのだと思う。
 それなのに、ユーリが知るベッドの中の彼は、帝王とは正反対にとても紳士的でやさしい。決して無理強いはせず、ユーリのペースに合わせてくれようとする。まるで自制心の塊だ。
 ユーリには過去の彼と、いま目の前にいる恋人がうまく結びつかない。
「……ああ、そっか。もどかしかったのかもしれないな」
 自分がまだ知らない彼がいるみたいに感じたのだ。
 ようやく、しっくりくる言葉を見つけられて、ユーリは安堵の息を吐いた。吐き出した分だけ、肺に新たな空気を満たすと、汗とともに感じる彼の体臭が心をくすぐる。安心するにおいだ。同時に、ドキドキさせられるにおいでもある。
「忘れてくれ」
 口にしてしまえば、ただのやきもちだったのかと自覚して、照れ混じりに申し出たユーリは、「できませんね」とあっさり返されて目を瞠った。
 隣にいるコンラッドへと向き合っていたはずの身体がころがされ、真上を向かされた。けれど、その先には天井はなく、近すぎる位置の恋人の顔を見つけて、さらに目がまあるくなる。
「つまり、ユーリは物足りなかったわけですね」
「いや、そんなこと言ってないだろ。あんた、おれの話聞いてた?」
「聞いてましたよ。熱烈な愛の告白でした」
 きもちいい? かわいいね。ユーリ。あいしてるよ。
 最中にたくさん囁かれる声と同じトーンで告げられて、心臓が跳ねた。
「無理をしているわけでも、我慢してるわけでもない。あなたが大切すぎて、どうしたらいいのかわからなくなってるだけです」
「な、に?」
「あなたにしか見せない顔があるってことですよ」
 唇を塞がれて、どういう意味かと、問うことができなかった。呼気さえ奪われそうなほど、深く、激しく。こんなキス、ユーリは知らない。
 間近にある瞳が、ユーリを捉えたままゆっくりと細められた。それだけのことに、背筋をぞくぞくとしたものが這い上がる。
 恋人の知らない一面に翻弄されながら、ユーリは縋るように広い背へと腕をまわした。



 ぜんぶを知りたいなんて欲張るものじゃない。
 触れることができた新たな一面を喜ぶと同時に、息もつけないほど翻弄されぐったりとした身体で後悔することになるのは、もう少し先のこと。


(2016.08.20)