おしのび


 城下へのおしのび。
 護衛であり名付け親であるコンラートを伴い、街の活気を肌で感じるのは現魔王陛下であるユーリの楽しみの一つだ。
 他所の国へ出向くのとは異なり、身分を隠すための面倒な変装が必要ない気楽さも良いらしい。
「陛下」
「陛下言うな、名付け親」
「すみません、坊ちゃん」
 今の彼は裕福な商家の跡取り息子の設定。
 マントについたフードで髪と顔を隠してしまえば、どこにでもいる少年だ。
 謝りながらも伸ばされたコンラートの手がフードを深めに被らせる。不満そうな主の視線は、申し訳ないが黙殺だ。
 今日は定期市の日。いつもより人も出店も多い。活気付いた街の様子が珍しいのだろう、気づくと邪魔なフードを持ち上げて、あちこちの店先を覗き込んでいる。その度に、護衛が慌てるのだ。
 今も一瞬だけ上がったフードの下の素顔に、店番の少女の頬が赤らんだ。ちらちらとこちらを伺う視線から、護衛はさりげなく主を隠す。
「よく見えないんだ」
「ならば髪を染めて、目にガラスを入れますか?」
「めんどうだからやだ」
 困ったお方だ、と溜息一つ。
 身軽な主は、新しい興味の対象を見つけては、人ごみを縫うようにしてどんどん進んでしまう。
「待ってください、はぐれますよ」
「ん。コンラッド、ちゃんとついてこいよ」
 明らかに迷子になるのは主の方なのだが。護衛の心配を他所に、彼は無邪気に笑う。
 護衛の一番好きな笑顔だ。
「では、はぐれないように」
 店先で、珍しい果物を眺めている彼の手をとった。
 一瞬だけ驚いて逃げようとするのを許さず、しっかりと握る。やがて観念したのか、逃げ損ねた手は、躊躇いがちに握り返された。
 握り返す力の弱さは、彼の照れを表しているのだろう。
 主は護衛を見ない。視線は相変わらず果物を見つめたまま。けれど意識は自分に向いてることを護衛は知っている。
 その後、主はもうフードを持ち上げることはなかった。


 そのまま二人で市場の端まで見て周り、いくつかのお菓子をお土産にして、お腹が空いた頃に帰途についた。
 遅くなるとは伝えていない。城の料理長が今頃腕を振るっているだろう。
「たまにはフードも役にたつな」
 主がぼそりと呟いた。
 フードで隠れた顔は見えない。けれど、その下の表情は容易に想像が出来て、護衛はとても愉しそうに笑った。


(2009.08.10)