魔王と護衛


「おはようございます、陛下」
「おはよう、ユーリ。コンラッド、だろう?」
 既に目は覚めていたが、護衛が起こしてくれるのを寝たフリをしながら待っていた。先に魔王が起きていたと知ったら、きっと護衛が残念がるから。
 几帳面に「陛下」と呼ぶ護衛に訂正をすると、目に見えて顔を赤くしながら「癖で」などと言い訳をする。
「着替えるから、手伝って?」
 ベッドから起き出して鏡の前で振り返る。後ろをついてくる護衛は、用意しておいてくれたのだろう着替えを手にしていた。
「脱がせてくれるかな?」
 訊ねると、また顔を赤くする。
 一度着替えを傍らへ置いた護衛は、魔王の夜着のボタンを外していく。ボタンに集中しているのだろう。小さい身体を見下ろしてみると、黒い艶やかな髪と旋毛しか見えない。
 着替えなど一人で出来るが、彼の反応を見るのが楽しいのであえて全て任せる。
 一人で着替えるののゆうに五倍は時間をかけて着替えを済ませると、自分で着せた魔王陛下の姿に満足してか、護衛が綺麗な笑顔で笑った。
「じゃあ、ロードワークにいこうか」
 どうせ運動するならばベッドの上で、と言いたいが。護衛が真っ赤な顔をして怒るだろうから、いつも通りのロードワークへと出かける。
 コンパスの違いを気にして、時折後ろを振り向きながら、後ろをついてくる護衛のペースへと合わせて。
 そんな二人の様子を、すれ違うメイドや兵士たちが不思議そうに見ているが気にしない。護衛が元気いっぱいに笑顔で挨拶をすれば、不思議顔をしていた者たちはすぐに笑顔を浮かべた。
 溜まっていた執務は昨日のうちに終えたので、今日は一日休みだ。
 前日のうちに二人分の食事を王の寝室へと運ぶように頼んでおいたので、ロードワークが終わる頃には温かな食事が届いていた。
 護衛に促され、席へとつく。
 自分で水差しを手に取ろうとした魔王を、護衛が慌てて押し留めた。
「俺がやる、から」
 危なっかしい手つきでグラスに水が注がれていく。魔王はこっそりと、ティーポットに手を伸ばさなくて良かったと思った。茶器を扱わせるのは危険だろう。
「陛下、本日の予定は?」
 二人きりの楽しい食事を終えて一息つくと、傍らの護衛に予定を尋ねられた。
 陛下ではなく名前で呼ばれたいと思うのだが。
「コンラッド、だろう?」
「え…っと、コンラッド。本日の予定は?」
 名前を呼びながら照れる護衛の様子に、魔王は目を細めた。
 そうだな、と今日の予定を考える。一日休みだ、遠乗りもいいし、城下に下りるのもいい。護衛がやりたいだろうキャッチボールをするのも、それはそれで楽しいと思う。
「ユーリは何がしたい?」
「いや、俺は護衛だから。あんたの行きたいところについていくよ」
「じゃあ、今日は一日部屋にいようか」
「……了解」
 立場を弁えて不満を口にしないまでも、護衛の目は雄弁に残念だと語っていた。
 せっかくの休み、可愛らしい護衛を一日中独占できるチャンス。
 申し訳ないが、今日の魔王陛下は自分の立場を利用させてもらうことにした。



「結局、護衛らしいこと出来なかった」
 窓の外が赤く染まり始める頃、シーツに包まったユーリが不満げな声を上げた。
「でも、俺は楽しかったですよ。可愛らしい護衛に一日中傍にいてもらえて」
 昨日で溜まっていた執務も終わり、宰相殿から翌日の休みの許可が出た。
 せっかくの貴重な休みの使い方を悩んだ時、役職を交換してみようと言い出したのはユーリだった。魔王陛下にそんなことさせるわけにはいかないとコンラートは断ろうとしたが、言い出したらきかないのがユーリだ。朝からこの「ごっこ遊び」が始まったわけで。
「せっかく、いつものお礼をしようと思ったのに」
 膨らんだユーリの頬を、機嫌をとるようにコンラートの指が擽る。
「あなたに世話をしてもらうのも楽しいですが、やはり俺はあなたの世話をする方が好きみたいです」
 先ほどまでベッドの上で無体な「魔王命令」をしまくっていたヤツが何を言うんだ。
 爽やかな笑顔を浮かべるコンラートへと、ユーリは枕を投げつけた。


(2009.08.21)