護衛と猊下
夏の暑さも和らいできた。
連日の執務でお疲れ気味の魔王陛下は、大樹の木陰でうつらうつらと夢の中。
隣に座る護衛は、肩の重みに幸せを感じながら、時折髪を撫でる心地良い風に目を細めた。
「見つけた」
分かっていたが敢えて気づかないフリをしていた気配が近づいてくるのを感じて、護衛が小さく溜息をついた。
無粋だ、と思う。
だが、相手の立場を考えれば、護衛には止めることはできない。
「陛下はお休み中です」
「みたいだね」
隣で眠る人と同じ双黒を纏いながらも、中身は正反対な大賢者は、木の根元に座る二人を交互に見て眉を上げた。
遠まわしに帰れと告げる護衛の言葉を気にする風もなく、護衛とは逆側の魔王の隣へと腰を下ろす。
「お疲れ気味みたいだね」
「執務が溜まっていましたので。何か御用でしたら、後ほど陛下にお伝えしておきますが」
「それには及ばないよ、ウェラー卿」
触れ合うかどうかのその距離に護衛は眉を顰め、そっと眠る魔王の肩を抱いた。
「起こしちゃうよ?」
「大丈夫です」
会話はすれども、互いの視線は寝顔へと釘付けのまま。
咎める大賢者にきっぱりと護衛は言い放つ。実際に眠る魔王は起きる気配がなく、相変わらず夢の中だ。
どこから出てくるのか分からない護衛の自信が面白くないと、今度は大賢者が手を伸ばす。黒い艶やかな髪に触れる直前に手を掴まれて、大賢者は不機嫌にその手を払った。
「起きないんじゃないの?」
「起きるかもしれません」
どっちだよ!
大賢者は冷ややかな視線を護衛に向けるが、護衛は相変わらず魔王しか見ていない。
「君って、渋谷が見ていないところでは正直だよね」
護衛は答えない。
時折大賢者の元へやってくる魔王は、護衛の優秀さを褒める。よくできた保護者だなんて思い込んでいるが、知らぬは護られている魔王ばかりだ。
やれやれと思いながらも、大賢者は再び魔王を眺めた。
眞王廟に篭り読書に明け暮れる日々ではあるが、やはり親友の様子は気になる。
いちおう魔王も大賢者が気になるらしく「不健康だ。読書ばっかりしてないで身体を鍛えろ」などと声をかけてくることもあるが、肉体派ではないのでこればかりはどうしようもない。
第一、肉体派大賢者なんて笑えないだろう。
そういう仕事は彼の護衛に任せればいい。
勉強好きというよりは知識欲の強い大賢者ではあるが、書庫に篭る理由がそれだけではないことを魔王は知らない。
「幸せそうな顔しちゃって」
「幸せですから」
「あっそ…」
のほほんとした寝顔。
眠っている当人ではないところからの返事に、大賢者の顔が引きつる。
つくづく、なんでこんな男が護衛なんだと大賢者は思う。
たぶん、護衛も大賢者に対して似たような感想を持っていることだろう。
だが、魔王に選ばれ、自らも魔王を選び、自分達はここにいる。
魔力も剣もダメならば、知識を武器に彼を護ろう。
四千年生きてきたとはいえ、この世界にいなかった空白の期間はかなり長い。出来るだけ、多くのことを知る必要がある。
「まぁ、顔を見たかっただけだから、今日は帰るよ」
「お気をつけて」
形ばかりの護衛の言葉に、返事代わりに肩を竦めた。
西の国での不穏な噂を耳にした。まだ魔王には届いていないが、いずれは知ることになるだろう。じっとしていられない彼が動き出す前に、出来る限りのことをしておきたい。
大賢者はひらりと手を振り、眞王廟へと歩きだした。
(2009.08.23)