かわらないもの


「陛下」
 城のあちこちを探し回り、ようやく見つけた姿へと背後から近づく。
 聞こえているはずなのに返事はなかった。
「ユーリ」
 彼が何に引っかかって返事をしないのか分かるので、二人でいる時だけそうするように名前を呼んだ。
 腰まで伸びた漆黒の髪を揺らして振り返る姿は、毎日見ていても時折はっとさせられるほどに美しい。
「何十年同じことを言わせれば気が済むんだ」
 名付け親、と小さく呟く不満げな声は今も昔も変わらない。
 慈悲深い王と国内外から愛される彼の治世も、早いもので百年。
 戦争を行わず友好的な手段で人間の国との関係を築き上げ、国交回復により始まった交易は国を豊かなものへと変えていった。
 ふくよかだった頬の肉も落ち、二十台半ば…青年と呼べる姿に成長した彼は、可愛らしさよりも美しさが際立つようになった。
 抜かれることはなかったが、伸びた身長は頭一つ分あった差を半分へと縮めた。
「ギュンターが大騒ぎしていましたよ」
「知ってる」
「一緒に怒られてあげますから」
「子供扱いするな」
 子供だなんて思えるはずがない。
「そんなことありませんよ」
 機嫌をとるように髪を一房持ち上げて口付けを落とした。
 もうすぐ開かれる即位百周年の記念式典の準備に城内は慌しい。王自身も通常の執務のみならず、式典準備の衣装合わせだの、気の早い賓客の相手だのと、休む間もなく。
 普段ならば抜け出す算段を一緒に立てるはずの俺は警護の打ち合わせでなかなか姿を見せず、業を煮やしてついに一人で抜け出してしまったようだった。
 執務室に主の姿を見つけられずに踵を返した俺の背中に、半刻だ、と眉間に皺を寄せた宰相が告げた。
 僅かながらの休憩時間であり、俺に与えられた王の機嫌をとる時間であり、そして何よりもなかなか取れない恋人と過ごす甘い時間。
「ユーリ」
「戻れと言ったくせに」
 細い腰を抱き寄せれば、大人しく腕の中に収まる身体。
「半刻の猶予をもらいました」
「短い」
 不満げに唇を尖らせる姿は、少年の頃を思い出させて、俺は喉を鳴らした。
「やはり、あなたは変わりませんね」
「あんたはおっさんになったな」
 人間で言うところの四十ほど。確かにおっさんと言われても仕方がないと苦笑が漏れる。
 けれど、湧き上がる愛情は出会った頃と何ら変わりなく、愛しい人を欲している。
「ん…時間、ない、だろ…っ…」
「ですね」
 軽く顎を持ち上げて唇を触れ合わせる。ただの挨拶ではないと感じ取った恋人の不満の声を、口付けを深めることで塞いだ。
「…っふ、ん……ぁ、コン……っ」
 舌を差し入れ、触れ合わせる。
 慣れ親しんだ行為、けれど飽きさせることなく熱を生む行為。
 絡め、吸い上げ、歯列をなぞり。存分に味わってから、名残惜しむように唇を舐めて離せば、漆黒の瞳が艶を含んで見上げてくる。
「煽らないでください」
「誰のせいだ!」
「あなたです」
「……っ」
 みるみる赤く染まる頬を見て、口端を吊り上げた。
 途端に、仕返しとばかりに伸びて来た手が襟首を掴む。
 カリ、と首筋に歯を立てられ、痛みに眉を顰めたのは一瞬。歯の跡で僅かに赤くなっただろう場所を舐められ、吸い上げる動きに、痛みとは違った意味で顔を顰めることとなった。
 どこでこんな誘い方を憶えたのか。
 無論、自分以外の者と寝所を共にするはずがないのは分かりきっているのだが。
「今夜、部屋にお伺いしますね」
 内に灯った熱を今すぐに相手にぶつけたい気持ちを抑えながら耳元で囁けば、赤い顔の人は否定せぬままに視線を逸らした。


「髪を切ろうかな」
 なんとなく思いつきで呟いた。
 執務室へと続く廊下を歩く。
 僅かな時間を惜しめば、歩調は自然と緩くなった。
「何故です?せっかく伸ばしたのに」
 少し後ろを歩く護衛の顔は見えないけど、慣れ親しんだ相手だ、驚いているのが分かる。
「なんとなく」
 何故です、か。
 理由に気づかない相手に、教えてやる気にもなれない。
 伸ばし始めた時にも似たような会話をしたことを思い出す。
 伸ばした理由はいたって単純だ。
 メイドの一人の長い髪をコンラートが褒めた。
 俺の前で。
 確かに彼女の髪は美しかったと思う。
 なんとなく、なんとなくそれが面白くなくて、つい伸ばしてしまった。
 そんな子供じみた理由、言えば喜ばれるのは分かりきっていて、言う気にもなれず。
 けれど、長い髪など手入れが面倒だと思うのに切ることもできず、気づけば腰に届くほどになってしまった。
 思い出すだけでも腹立たしい。
 たらしめ。
 けれど、それ以上に腹立たしいのは、そんなことに腹を立てて意地をはる自分自身だ。
 髪を切る。
 思いついてみればそれはとても名案に思えてきた。
 俺が振り向かなくてもコンラッドの表情が分かるように、きっとコンラッドにも背中しか見えていない俺の表情が分かるのかもしれない。
 執務室の扉の前で、手首をとられて引き寄せられた。
「長くても短くても、どちらもきっと美しいです」
 あなただから、と。
 機嫌をとるように、髪へと口付けられ、囁かれた。
 まったく。
 つくづくたらしだなと思う。
 気づけただけ大人になったということか。気づけても、こんな言葉で嬉しくなってしまう辺りがまだ子供ということか。
「あんたは、どっちがいい?」
 結局、分かっているのは、百年前の今も、そして多分百年後も、この男に振り回されているということだ。


(2009.09.03)