「いい加減に供をつけてください」
「いい加減にこれぐらいの距離で怒るなよな」
 ノックをする前に叩こうとしたドアが開いた。
 溜め込んでいた執務がようやく落ち着いたので、こうして恋人の顔を見に来てみれば、いきなり小言で出迎えられるとは思ってもみなかった。
 カチンときたので引き返そうとすると、腕をとられた。
「どこに行くんですか」
「歓迎されてないみたいだから帰る」
「嬉しくないわけないでしょう。ただ、立場を考えてください」
 そのまま引っ張られて、部屋へと引き込まれた。
 後ろでドアが閉じる音がした。


「喉、渇いた」
 すぐにコンラッドが動く。
 水差しからグラスへと水を注ぐ。
 小さな灯りが、あまり陽に焼けない肌を白く浮かび上がらせていた。
「ごめん」
「どうしたんです?」
 たくさんの傷を負った背中。
 いつだったか、もう痛くないんですよと笑ってみせたそれらに混じって、赤く血の滲む筋を見つけた。
「背中、痛くない?」
「大したことないですよ」
 なんでもないと笑いながら、グラスを渡される。一口、室温で温くなった水を口に含み、サイドテーブルへと置いた。
「見せて」
「お断りします」
「なんで」
「無駄な魔力は使わないでください」
 あんたが痛いと俺が嫌なんだ。
「無駄なんかじゃない」
「言い方が悪かったですね。あなたにつけられた痕なら歓迎なので、残しておいてください」
「ばかやろ」
 治さないと約束した上で見せてもらった背中は、しっかりと両手で引っかいた痕が残っていた。
 今夜が初めてのことではないけれど、今回は特にひどい。
「爪、伸びすぎだな」
 最近はキャッチボールをする暇もなく、気にもとめていなかったけれど。
「切りましょうか」
「明日、頼む」
 爪切りなんて便利なものはこちらの世界にはない。
 小刀でうまく削れるほど器用じゃないし、やすりで丁寧に削るのも以下略、だ。
 自分ではどうにもならないので甘えることにして、俺は傷口へと指先で触れてみた。
「ユーリ?」
 魔力は使わないと約束した。
「…なに、を?」
 約束は守っているんだから、咎める声は無視だ。
 傷口へと唇で触れた。
「……っ」
 一つ一つを舌先で丁寧に辿る。
 舐めときゃ治るだろ。
 汗と血の味に混じって、少しだけ甘さを感じた気がした。


(2009.09.08)