ずっと二人で
冬の長いこの国で暮らすと決めたのは、もう何百年も前だ。
駆け抜けるように生きてきた。
多少強引だと言われようが、自国のため、他国のため、誰もが幸せになる方法を模索し続けた。日々、がむしゃらに、時間に追われながら。歴代の魔王の中で一番長い在位期間だと言われたが、それでも他にまだ出来ることがあったのではないのかと悔やまれる。
人間よりは長い時を生きる魔族にも、やがて終わりはおとずれるのだ。
三百年を区切りとして、退位した。
それまでの慌しさが嘘のように、王都の外れの小さな屋敷にでの生活は、とてもゆったりとしていた。
天気の良い日にはテラスで茶を飲み、街に買いものにでて。時折おとずれる客との会話を楽しむ。
ただ静かに、穏やかに。
残された時間を、精一杯。
「久しぶりに、きれいに晴れましたね」
「そうだな」
昼食の後に、テラスへと誘われた。
年齢を重ねてもすらりと延びた背筋の男は、当たり前のようにユーリの腰に手を添えて共に歩く。いくぶん以前より狭くなった歩幅で、けれどぴったりと寄り添って。
この季節は雪が続く。珍しく薄暗い雪雲ではなく、視界いっぱいに青空が広がるのを見上げたユーリは、そのまぶしさに目を細めた。
陽光を遮るように掲げた手、その甲には生きてきた年数を刻む皺が広がっている。
「帽子を用意するべきでしたね」
「いいよ、これぐらい」
冷やさぬようにと着込まされた身体は寒くないが、むき出しの手は少し冷たい。口元へと運んだ手は息を吹きかける前に一回り大きな手にとられた。
「手袋もお渡ししませんでしたっけ?」
「おいてきた。いいんだよ、こうしてれば温かいから」
握られた手を握り返す。同じように皺が刻まれた手は、それでも相変わらず大きく、温かく。ユーリの両手を包み込んだ。
人間も、魔族もたくさんの人を見送ってきた。
幸いにも世界は平和で、不幸な理由ではなかったけれど、それでも別れとは悲しいものだ。
永遠の命など望まないが、いざ次は自分たちの番なのかもしれないと考えれば、不安な気持ちがつきまとう。
「ユーリ」
「ん?」
「考えても仕方がないことですよ」
全てを見透かすようにかけられた声は静かで、だからこそ重く響いた。
置いていくのも、置いていかれるのも、どちらも不安だと思うのは、つい最近も親しい友人を一人見送ったせいかもしれない。
どれだけ年齢を重ねたところで人は悟ることなどできず、いつまでも欲深い。
「おれさ」
「はい」
「おれの方が先に死ぬと思ってた。こんなに長生きするなんてな。まさか、この歳まであんたと一緒だなんて思わなかった」
ただの人間だと思っていた。だから、魔族の男を愛した時、生きる時間の違いが恐ろしかった。
それからしばらくして、自分の中の時間の流れの変化に気づいた時に、ひどく安堵した。
そして忘れたのだ、最初に感じた恐ろしさを。
「ひどいですね、永遠を誓いあったのに」
握られていた手が持ち上がる。見せつけるように、左手の薬指に口づけられ、ユーリは肩を揺らして笑った。
「この歳になってまで、あんたは変わらないな」
「あなたこそ、相変わらずお美しい」
「もう皺だらけのじいさんだよ」
髪が白くなり、皺が増え、筋力が衰え、少しずつ出来ないことが増えた。そんな中で浮かべられた笑顔は以前と変わらなく穏やかだから、胸が締め付けられるような気持ちになる。
「ユーリ?」
久しく使っていない魔力は、それでも願いに応えるように自然と指先に集まった。僅かに熱を持つ握りあわされた手から渡される熱の、その意図に気づいた男が離れようとするのを許さずに、ユーリは強く力を込めた。
以前ならば力でかなうことがなかった。けれど、今は違う。
百歳という差を、この歳になって再びこんなに意識させられるとは思わなかった。
「ユーリ、いけない」
「これはおれのわがままだよ、コンラッド。あんたのためじゃない。一生、側にいてくれるんだろう?」
残された時間。ほんの僅かでも長く一緒にいるために。
「おれは薄情だからな。あんたがおれを置いてった、おれはすぐにあんたのことなんて忘れてやるんだからな。おれ、いまだにもてるんだぜ」
「ええ、あなたは魅力的ですからね」
「だから、受け取ってよ。半分だけ。それで、あんたの残りの人生を、全部おれにちょうだい」
残りの命を、半分。もう少しだけ、一緒にいるために。
プロポーズみたいですねと笑う男のかさついた唇へと、
「そんなの、ずっと前に済ませただろう」
誓うように、自分のそれを重ねた。
「春になったら、久しぶりに城に遊びに行こうか」
「いいですね」
「みんなに会いに行こう。それから、花見をして、あとは…」
たくさんの約束を交わそう。できる限り、それを叶えよう。
愛した国で、愛した男と。
(2010.06.13)