frustration 後日談
連日の会議を終えて、ようやく忙しさも落ち着き、こぞってやつれた文官たちも交代で休みを取れるようになってきた。
その中でも一番多忙を極めたであろう当代魔王陛下も、気苦労の耐えない宰相と王の前以外では優秀な王佐に言われ、ようやく明日は身体を休めることにしたようだった。
今日のノルマと決めた書類の束もほぼ片づき、最後の一枚もしっかりと文面を読んだ上でサインを書いたユーリは、ほうっと大きく息を吐き出しながら背もたれに背を預けた。
「お疲れさまです」
「んー」
護衛であるコンラッドの言葉に、もはや返事をする気力もないらしい。閉じられた目、だらりと垂れ下がる腕、投げ出された足。すべてが疲弊を物語る。
「早めに休め」
「んー」
同じように本日の仕事を終えたらしい宰相が、心配そうにおろおろする王佐を引っ張るようにして去っていった。二人きりになり、ペンを走らせる音と書類をめくる音しかしなかった室内が、今度こそ静寂に包まれた。
「お疲れでしょうが、部屋まで歩けますか?」
「歩ける」
答える声は小さい。相変わらず力の抜けた身体は動く気配がなく。動けるまでもうしばらく待つべきか、それとも抱えてでも部屋に運ぶべきか。
「歩ける、から」
長い付き合いだ。コンラッドの考えも、本当に抱えて運ぶだろうことも分かっているユーリは、目を閉じたまま大丈夫だと言い張り、護衛の頭の中の案を却下した。
「コンラッド」
「はい」
名を呼ばれて、一歩近づく。
いつもより艶のない髪は、それでも指に馴染んだ。労るように撫でつけると、心地よいのか再び息を吐き出したユーリが動く。
緩慢な動作で腕を持ち上げて、コンラッドの腰に抱きついて鳩尾に顔を埋めた。
「ごめんな」
「どうしたんですか」
疲れたとこぼすかと思いきや。
予想しなかった謝罪だが、なにに対してかは容易に想像がつく。
「あんたに八つ当たりみたいなことして」
先日のことを言っているのだろう。
人使いが荒いが、それ以上に自分で働くユーリは、執務室では常にいつも通り辛そうな様子は見せなかった。それが表面だけであることに気づいたのは、自分だけだろうとコンラッドも感心するほどだ。
きっとコンラッドが行動を起こさなかったとしても、この忙しい時期を乗り切ったことだろう。けれど、コンラッドは肉体的にも精神的にも参っていたユーリを休ませるため執務室から連れ出した。
心配していたのだ。
部屋に運び、いつもより少し長い睡眠を与えるつもりだった。今の仕事が片付くまでは気が休まらないだろうが、せめて身体だけでも。
ただし、身体が休まったことで心にも余裕が生まれれば、このところ執務のみに占められていた意識が少しでも自分に向きはしないだろうかという下心があったことは否定できないが。
「あんなのは八つ当たりとは言いませんよ」
見透かすかのように誘うユーリに、コンラッドは流された。疲労で気が立っていることは分かっていて、もっと他に宥める方法もあっただろうに。
だから、謝られるようなことなどなにもない。
「心配はしましたけどね」
あんなになる前に頼られたいという希望は、きっと却下されるのだろう。責任感が強い人だから、自分を甘やかすことを良しとしない。
「うん、だから、ごめん」
ぎゅうっと、腰にまわった腕の力が篭る。
こうして、甘えるような態度を取られることで、コンラッド自身が甘やかされていることに、ユーリ自身は気付いているのだろうか。
「じゃあ、お詫びをください」
「うん」
服に顔を埋めたせいで、くぐもった返事が返される。
「明日、一日を俺にください」
「最初からそのつもり」
「ありがとうございます」
どこかに出かけるのも良いだろうが、せっかく久しぶりの休日なのだから、なにもしないのも良いだろう。食事もお茶も菓子も、ユーリの好きなものを用意して、だらだらと部屋で過ごす。
ただ二人で。
背を抱き返しながら、コンラッドは明日の予定を考えて口元を緩めた。
(2010.07.12)