Little Darling


 ユーリが、昔の写真を持ってきた。
 目に入れても痛くないほどに可愛がっている愛娘に「おとーさまの子供の頃の姿が見たいわ」とねだられたら、甘い彼が断れるはずがない。
 だが、一方的に自分の過去ばかり見られるのは、やはり恥ずかしかったようで。
『おれも皆の子供の頃の姿が見たかったな』
 不可能だからとわかっているからの気安さで呟かれた言葉だった。少なくとも、その場では。
 ただ、その彼の願いは偶然にも、不可能を可能にしてしまう赤い悪魔の耳に届いてしまった。



「小さい!」
 頭上から聞こえてきた感想は、コンラートの感想と同じものであったが、その声の含む色は正反対だった。
 視線の先には子供の手。
 握っては開くだけの動きを数度繰り返し、やはり自身のものであることを確認したコンラートは、内心でため息を吐いた。
 目の前にいる仕えるべき主に、おかしなところはない。いつもならば見下ろす位置にあるはずの彼の顔が、見上げなければ見ることができないのは、考えるまでもなくコンラートが原因なのだろう。
「陛下」
「陛下ってゆーな、名付け親」
「……ユーリ」
「なに?」
「俺はいま、どうなってますか?」
 先ほどから、小さい、小さい、と嬉しそうに繰り返す彼に訊ねれば、やはり想像通りの返事が与えられ、コンラートは今度こそ内心ではないため息を吐いた。



「楽しそうですね」
「うん、楽しい」
 答える声は、言葉通りの響きを持っていた。
 赤い悪魔によってもたらされた騒ぎはすぐに城中に広まり、今日のユーリの執務は全て中止となった。
 グウェンダルが行方不明なのだ。
 大方、赤い悪魔の実験台となって魔力を使いすぎて倒れているのか、それともコンラートと同じ姿にされた故に人前に出られないのか。どちらにしろ、探さないであげるのが優しさだという結論に達している。
 ユーリとしては、グウェンダルの行方に興味がないわけではないけれど、膝の上に乗せた少年の存在で満足しているようだった。
「なー、元気出せって、コンラッド。アニシナさんだって、すぐに戻れる薬を作ってくれるって言ってただろ。数日の我慢だって」
 慰める手が叩くのは、肩ではなく頭。無意識なのだろうが、本当に子供に対する動作だ。
「それでは遅いんです」
「どうして?」
「俺はあなたの護衛なんですよ。この姿では、あなたに何かあっても守れない」
「城の中にいれば大丈夫だよ」
 まったく危機感がないユーリの返事に、コンラートが安心できるはずはない。背中を預けて座らされたままではなく、顔を付き合わせて注意をしようとしたのだが、ユーリの腕に押しとどめられて抜けだすことが叶わなかった。
 使いなれたはずの剣も手には余る大きさだ。ユーリの力にさえかなわないのだから、今の自分は役立たず以外の何者でもない。
「おれは護衛ができなくたって、ここにコンラッドがいてくれるだけで十分だけどね。それに、滅多に見られる姿じゃないから、楽しいし。いやー、本当にあんたって王子様だったんだな」
 かわいいな、と続く言葉に肩が落ちる。
 かわいいのはあなただと、いつもならば簡単に口にできる言葉も、今日ばかりは言えそうにない。
「何歳ぐらいだろ。グレタと同じぐらいかな」
 膝上に乗せられたまま、頭上には彼の顎。コンラートの手をとったユーリが、その大きさを確かめるように自らの手のひらをぴたりと重ね合わせた。
 一回り小さかったはずの彼の手が、今は比べるまでもなく大きい。
「今日は城から抜け出したりしないよ。キャッチボールもなし。大丈夫だよ、コンラッド。心配なら、見張ってればいいだろ」
「そうします」
 ならば安心かと納得しかけたコンラートの表情は、予想外に続いた言葉によって固まった。
「だから、お世話させて」
 笑顔のユーリの提案は、とても受け入れられるものではなかった。



 今日のユーリは、いつも以上に機嫌が良い。今にも、鼻歌が飛び出してきそうなほどに。
 自分の服ではサイズが大きすぎるからと急遽取り寄せられた子供服は、着替えさせてあげるというユーリの申し出により、直接コンラートが受け取ることはできなかった。
 食事の時間には、食べさせてあげると先割れスプーンが取り上げられた。
 城内の移動の際には、すべてにおいて手を引かれ、まるで幼児に対するような扱いだ。
 グレタに対してさえ、ここまではしないだろう。
 そして今も。
 ベッドの端に腰をかけて、にこにこと笑うユーリの顔との隙間は、わずか二十センチにも満たない。向かい合う形でコンラートが座らされているのは、そんな彼の膝の上。
「ユーリ」
「なに?」
 いつもならば、つられてこちらまで笑顔になりそうなものだが、さすがに今のコンラートはそんな気分になれそうにない。
「中身はいつも通りだってこと、忘れていませんか?」
「そうだっけ。見た目がかわいいから、つい。それに、あんたのお世話なんてなかなかできる機会がないから、楽しくてさ」
 そう言いながらも、彼の手が頬を撫でる。丸みを帯びたその感触を楽しむように軽く引っ張られ、コンラートの眉間に皺が寄った。
 まるでおもちゃだ。
「子供なのは、見た目だけなんですよ」
 後ろはベッドだ。遠慮する必要はない。
 完全に油断をしているらしいユーリは肩を押され、子供の力でもあっさりとベッドの上に倒れた。
 黒い髪をシーツの上に散らせながら、驚いたように見開かれた瞳が、コンラートを見上げていた。
「思い出していただけました?」
 ただ、いつものように彼に接したかった。彼の前では、いつでも大人でいたいのだ。
 ぽかんと、薄く開いた唇が目にとまり、引き寄せられるように顔を近づけ-―。
「ぷっ」
 力のままに背中にまわされた腕で強く引き寄せられ、コンラートはユーリの上へと崩れ落ちた。
 体重はコンラートの方が軽い。幸か不幸か、いつものように彼を潰してしまうのではないかと気にする必要はなかった。
「ユーリ……」
「いや、ごめん。あんたがかわいい顔で、すましたこと言うから、おかしくって」
 ユーリの胸の上。彼が笑うたびに、振動がコンラートへと伝わる。
 それは、まったく収まる気配がなく。
「ごめん、ごめん」
 何度も謝りながらのキスは額へだった。
 彼から与えられる珍しい行為に喜ぶべきか、その場所がやはり子供に対するものに思えたことに悲しむべきか分からないまま、コンラートはただ眉根を寄せた。
 そして生まれて初めて赤い悪魔の実験の成功を心から願った。



「つまんない」
 昨日の笑顔はどこに行ったのか、今日は朝から不機嫌なユーリが、ぽつりと呟いた。朝、いつも通りに起こしにきたコンラートを見てからずっとこうだ。
 昨日は見上げるばかりだった姿を、今日は見下ろす。当たり前だった彼のつむじも、一日ぶりだと思えばいつもよりいとおしい。
「コンラッド、ちょっと手出して」
「はい」
 昨日は一日、様々な事柄がコンラートを打ちのめした。
 さすがにもうあの姿は遠慮したいと思いながらも、どうすれば彼の機嫌が直るだろうかと思案するコンラートは、彼に言われるままに利き手を差し出した。
 昨日そうしたように、彼の手がぴったりと合わさる。だが、昨日とは逆に、関節一つ分コンラートの方が大きかった。
 やはりまだ元の姿に不満なのだろうかと、ただ彼のしたいようにさせながら見守ったコンラートは、やがて彼の指が自身の指に絡まるのを見て、わずかに目を見開いた。
「うん、やっぱりこっちのほうがしっくりくるな」
「ユーリ?」
「小さいあんたも可愛くて楽しかったけど、ずっとあのままじゃ困るってこと」
 同じように絡めたコンラートの指先が、ユーリの手の甲を撫でる。
 腰に差した剣は、もう昨日のような重みを感じない。空いた手で引き寄せた体は、すっぽりと胸に収まった。
 嬉しそうに自分を抱き寄せる彼に喜びを感じなかったわけではないが、コンラートとしては彼を守れる立場でいたい。
「そうですね」
 ただ、守られてくれるだけの人ではないことは分かっていたとしても。
「とりあえず、昨日できなかったキスをしてもいいですか?」
 問いかけに、昨日は見ることがかなわなかった表情を返され、コンラートは返事を待つことなく膝を屈めた。

Illustration:冬青様


(2011.08.23)