ゆくとしくるとし
スタツアを終えた先は、いつもの広大な浴室だった。服から湯をしたたらせながら浴槽から出たユーリは、厚い冬服の裾をしぼり、タオルを探した。
普段なら眠っているような時間に起きていたのは、今日が特別な日だからだ。そろそろ除夜の鐘が聞ける時間だと、家族団らんのリビングで話していた。ただし、楽しげな家族に囲まれて、ユーリ自身は少しだけ上の空だったのだけれど。
期末テストを終えてから、毎日のように長風呂をした。道ばたに水たまりがあれば、わざと踏んづけてみることもあった。野球のシーズンを終えてから足が遠のいていた銭湯まで足を延ばすこともあった。それでも、スタツアをすることはできず、異世界の偉そうな王を恨みながらクリスマスを終えたことは記憶に新しい。
そして、今夜。
期待とあきらめ半分に、目を覚ましてくるとこたつを抜け出した洗面所で、冷たい冷水に顔をつけた途端、求めていた感覚に包まれて、ほっと安堵したのだ。
「ぷはっ」
「おかえりなさい、陛下」
タオルで全身を拭き終えた頃、待ち望んだ声に出迎えられた。
「ただい……」
「しーっ。申し訳ないですが、急いで着替えて」
「え? あ、うん」
なぜか急かされるように着替えを押しつけられ躊躇ったのだが、さらに急かされるからいそいそと着替え始めるしかない。そして着替えを渡したコンラートはドアの向こうの気配を窺うばかりで余裕がなく、不満げなユーリの表情にさえ気づかない。
「着替えましたね? では、行きましょう」
「行くって、どこへ?」
手を引かれた。コンラートが先を歩くことも珍しければ、こんな風に強引なことも珍しい。まさか、城の中なのに緊急事態なのかという心配も頭をよぎるが、幸いにも今のところそんな血なまぐさい気配はなかった。
「……リ、ユーリ、どこだあああああああ」
「へいかあああああああああ」
どこに連れていかれるのかわからないまま歩きだしたユーリの耳に、懐かしい声が届いたのと、コンラートが手近なドアを開けたのは同時だった。
「ギュンターとヴォルフだ」
振り向くより先に、普段は使わない部屋に入るよう促され、ユーリの足が思わず止まる。
「どうしたんだよ、コンラッド。さっきから変だぞ」
「すみません、急いでいたので」
急いでいたと過去形でいうわりにコンラートの足は止まることなく、半ば無理やりのようにユーリの手を引いて動き続ける。窓際までやってきたユーリが外の光景に気づき質問しかけた唇は、大きな手のひらに覆われ、苦情さえも漏らすことができないまま。束ねられたカーテンの陰、狭い中に押し込められながら身動きなどできぬように腰を抱かれて、一気に身体がこわばった。
「ん……」
「しーっ」
さっきから、そればかりだ。
言葉にできない分、視線で不満を訴えようとするユーリに気づかず、コンラートはカーテンの布に阻まれて見えない扉ばかりを気にしている。
しばしの沈黙を破ったのは二人ではなく、第三者だった。扉が乱暴に開けられる。明らかに探されている様子で名前を呼ばれたユーリは、唇を塞がれて返事を返すことはかなわず、やがて「ここにもいない」という言葉を最後に扉が閉まるのを聞いた。
「で、一体なんなんだよ」
再び静かになった部屋の中で、唇が開放されるなり文句を言ったのはユーリだった。
「今日はあなたなしで、新年の祝いのパーティーの予定だったんです。けれど、なぜか呼んでいないはずのあなたが急にいらっしゃると眞王廟から連絡があったのが、つい先ほどでして。急いだのですが迎えが遅くなりすみませんでした」
「悪かったな、呼ばれてないのに来たりして」
忙しかったせいなのか今日のコンラートは様子がおかしい。歓迎されていない雰囲気を感じ取り、ユーリは不機嫌にそっぽを向いた。
こちらへ来たいと思っていたのは自分だけなのかと思えば、寂しさと悲しさが混ざって、自然と表情が曇る。
廊下から聞こえてくるユーリの名を呼ぶ声は、さきほどより小さく、どんどん離れている。もしかしたら、ひとつひとつの部屋を探して回っているのかもしれない。まだ彼らなら自分を歓迎してくれるのではないかと寂しい考えが頭を過ぎり、身体を離そうと一歩引きかけたユーリを、コンラートが引き止めた。
「そんなわけないでしょう」
「だって」
「すみません、急いでいたので余裕がありませんでした」
コンラートは困ったように微笑んで、ユーリの手を引きながらバルコニーへ続く窓を開けた。
厚いガラスに阻まれて気づかなかった外の音が、開かれたことで一気にユーリの耳に飛び込んでくる。どうやら庭ではパーティーが行われているらしい。賑やかな音楽の音色と、人々の笑い声に、ようやく城内に人の気配がなかった理由を知ることになった。
「ほら、花火が上がりますよ」
ドォンという大きな音とともに、暗かった空に炎の花が描かれる。二発目、三発目と続く豪快な炎の競演に、思わず不満を忘れて見とれたユーリの身体を、後ろから包むようにコンラートが抱きしめた。
防寒具は着ていない。一気に外気に触れて下がった体温が、包まれた場所から少しずつ温まっていく。
「明けましておめでとう、ユーリ」
「もう、日付変わった?」
「ええ、たった今。この花火が合図です」
次々と打ちあがる花火に消されてしまわないように、耳元に唇を寄せて話しかけられる。そのくすぐったさに肩を竦めながら、ユーリはゆっくりと振り向いた。
「じゃあ、間に合ったんだな、おれ。明けましておめでとう、コンラッド」
クリスマスは何もしないまま終わってしまった。次にいつ会えるかは、眞王の気分次第。会いたいという気持ちばかりが募るまま、年を越してしまうのかと諦めかけていた。
「新しい年の挨拶は、一番最初にあなたとしたかったんです」
「え?」
まるで自分の気持ちを見透かすみたいな言葉に、耳を疑った。
「あなたを独り占めしたいっていう俺の我侭でした。後で、会場にお連れしますね」
「うん」
言いながらも、まだしばらくは独り占めを続けるつもりらしい。
さっきまでの不機嫌が全て吹き飛んでしまったげんきんな自分を自覚しながら、一向に離す気のないコンラートの腕の中でユーリは笑い、挨拶を交わすように唇を寄せ合った。
(2011.12.31)