獅子次男6


 最初は気のせいかと思った。
 だが、二度、三度と続けば気のせいではないことにも、さすがに気づく。
「ユーリ?」
「なに」
 膝の上へと乗せた世界で一番大切な飼い主に逃げられないようにしっかりと腹をホールドしてから、俺は目の前のうなじへと顔を埋めた。
 深く息を吸い込むと、彼のにおいがする。
 一緒に暮らしていて、同じシャンプーや石鹸を使っているのに、どうしてこんなにも違うのだろう。
 甘い香りを味わいながら、美味しそうなうなじをぺろりと舐めると、彼は擽ったそうに肩を揺らした。
 唇を舐めようとした時には逃げられたのに、これは嫌ではないらしい。
 昨日までは許してくれたのにどうしたのかと思いながら柔らかな頬を舐め、そのまま唇へと触れようとすれば、すーっと顔が逸らされる。
「どうしたんですか?」
「なにが?」
 機嫌を損ねるようなことをした記憶もない。
 たいがいにおいて、彼はペットのすることだからと俺が触れることを拒んだりしない。
 それがうれしくもあり、少し寂しくもあるのだが。
「避けてるでしょう?」
 頬の丸みを両手で包んで、強引に目を合わせようとすれば先ほどの唇のように視線を逸らされた。
 嘘がつけない彼らしい反応は微笑ましくもあるのだが、避けられているこの状況は由々しき事態だ。
「そんなこと……」
「ありますよね?」
「えっと」
「どうして?」
 触れるか触れないかまで唇を近づけて問いかけると、困った顔の彼は降参したのか肩の力を抜いた。



「……笑うなよ?」
 飼い主がしぶしぶ教えてくれた理由は、なんとも予想外のものだった。
 つい先日一緒に見た映画のタイトル。特に見たかったわけではないのだが、ナイター中継が終わった後でスポーツニュースが始まるまでのつなぎとして見始めたら、そのままエンディングまでつい一緒に見てしまった。
 古い童話をもとにしたファンタジーは、呪いで化け物にされた王子がお姫様のキスで人間に戻るという他愛のないものだったのだが。
「そんなことないとは分かってるんだけど、なんとなくさ」
「それで、避けてたんですか」
 どうやら可愛らしい飼い主は、化け物の王子に俺を重ねてくれたらしい。
「ユーリは、俺が人間に戻ったら困るんですか?」
「だって、コンラッドが人間に戻って『今までお世話になりました』って出てっちゃったら嫌だろ?」
 ありえないと分かっていても、つい避けてしまうほど必要とされているのだと思えば、口元が緩んでしまう。
 笑みの理由を誤解したユーリが寄せた眉根へと唇を押し付けて、膝の上の身体を抱きしめた。
「俺は獅子です。変わったりしませんよ」
「うん、分かってる。ごめん」
「ずっとユーリと一緒にいます」
 人間に戻った王子が迎えたハッピーエンドもうらやましくないとは言えないが。
「じゃあ、戻らないって確認しましょう」
「へ?」
 可愛らしいことこの上ない飼い主とこうして一緒にいられる幸せには比べるまでもない。
 獅子は獅子。
 人間にはならないのだと彼が安心するように、俺は彼の唇へとたっぷり触れることにした。



Illustration:けいた様



(2013.08.29)