もう少しだけこの幸福を
夜中にひょっこりと尋ねてくる寝間着姿の彼の存在は、嬉しいと同時に少しだけ俺を困らせる。
「コンバンハ。来ちゃった」
照れたように笑う彼の腕に抱えられた枕が、今夜は帰るつもりがないのだと伝えていた。
「またヴォルフに蹴られましたか?」
「そうなんだよ。あいつ、寝てるくせに活発でさ」
「床に転がしても起きませんよ。なんなら手伝いますが」
同意など得られないと分かりきっている提案をしながら、ベッドへと促した。普段は一人で使っているベッドとはいえ、小柄な彼と眠るのに支障はないサイズだ。
「そんな可哀想なことできないよ。それに、そんなことしたらコンラッドの部屋に来る理由がなくなるだろ」
「俺の部屋に来るのに理由なんていりませんよ。どうしても理由が必要なら、俺がユーリに来て欲しがってるっていうのはどうですか?」
「あはは」
抱えていた枕をセットした彼が、ベッドにもぐりこむ。膨らんだ布団の中でもぞもぞと身じろぎをした彼は、こちらに身体を向けたところで落ち着くポジションを見つけたようだった。
「先に眠ってしまったもいいですよ」
「なに、あんた忙しかったの?」
「少しだけ書類を片付けてしまおうと思いまして」
「少しなら待ってるよ。ごめんな、邪魔して」
彼を邪魔だなんて思ったことはない。
書類があるのは本当だが、どうせ急ぐものでもない。どちらが優先か、天秤にかけるまでもなく早々に手放して、筆記具を片付けることにした。
「書類は?」
「明日の朝にします。大丈夫、急ぎじゃないですから」
ベッドサイドの明かりだけを残して部屋を暗くした。僅かに残された淡い光の中でも、宝石みたいな瞳が輝きを放って強く目を引きつける。
「そっか、ならよかった」
二人分の重みを受けて軋む僅かな音にさえ、緊張を感じる自身を自覚して眉根を下げた。
「なんか困った顔してる」
「そんなことないですよ」
確かに困ってはいるが、少なくとも彼が想像しているような理由ではない。
「言ったでしょう? あなたに来て欲しがってるって」
いつだってそうだ。臣下であり護衛であり親友であり名付け親であり、様々な役割を使い分けて常に傍に身を置いていても、飽くことがない。それどころかわずかな時間でさえ離れがたいのだ。
それはもう、これまでの役割では言い表せない感情で。
「あんたは本当におれに甘いな」
「そんなことないですよ」
甘いのは彼に対してではなく、自分自身に対してだ。
狭いベッドの中ではどうしたって身体の一部が触れ合う。それなのに彼は嫌がるどころか温かな身体を摺り寄せてくるものだから、つい背中に腕をまわしてしまう。
思うまま強く抱きしめてしまいたい衝動を何とか堪えて、名付け親の顔を繕うことに精一杯になっていると告げたら、彼は信じるだろうか。
「さあ、眠って。明日もロードワークに行くんでしょう?」
「うん、おやすみ」
強く輝いていた黒い瞳がすっかり瞼に覆い隠されるのを待って、小さく息を吐いた。
目を閉じたことでいつもより幼さの目立つ顔をしばらく見つめ、寝息が聞こえ始めたのを待ってから額へと唇を押し付けた。
「おやすみなさい、ユーリ」
腕の中には、切なさを伴う幸福。
あいしているよ。
堪えるほどに溢れそうになる感情を声にすることなく口の中だけで呟いたのは、もうしばらく今の幸せを壊さないためだ。
(2013.11.10)