想望
「いらっしゃい、ユーリ」
ノックをする前からうるさかった心臓のドキドキが、ドアの向こうから覗いた笑顔を前にして一気に速度を上げた。
「それから、お帰りなさい」
昼間のスタツア直後にも言われたけれど、あの時は賑やかなお迎えに囲まれてそれ以上の会話はできなかった。
たくさん話したいことがあったのに。
ギュンターやヴォルフに連れ去られながら僅かに感じた不満は、別れ際に彼の唇が「あとでね」と動いたのを見止めて少しだけ引っ込んだ。
「……タダイマ」
彼の柔和な笑みはずっと見たかったものなのに、つい視線を逸らしてしまったのは高揚を隠すため。
たった一ヶ月。
過ぎてしまえばそう振り返ることもできるが、過ごしている間は終わりの見えない期間を前にして不安と寂しさが募っていった。
どうしているかな。元気だろうか。会いたいな。声が聞きたい。
自分でもおかしいと思うぐらい、考えるのは彼のことばかりだった。
「元気でしたか?」
「うん」
「ジェニファーとショーマはお元気ですか?」
「うん」
何か喋らなければ。たくさん話したいことがあったはずなのに。
会いたい気持ちが積み重なりすぎて、いざ相手を前にしたら緊張でどうしていいのかが分からない。
促されたソファに座る間も、つい口数が少なくなってしまう。
対する彼は、こんなにも普通なのに。
「お疲れですか?」
隣に腰を下ろした彼の重みで、僅かに身体が彼の側へと傾いた。
触れ合ったわけではない。触れ合うかどうかというぎりぎりの接触にさえ、心臓が跳ねる。
「大丈夫だよ」
「それならいいですが、無理はしないでくださいね」
「うん」
覗きこんでくる彼の顔には心配の色しか見えなかった。
無条件に与えられる優しさは普段ならば喜ぶべきものなのだが、今日だけは。
「あのさ……」
やっと会えたのだから、今日ぐらいは名付け親ではなく恋人として再会を喜んで欲しい。
毎日彼のことで頭をいっぱいにしていたおれぐらいとは言わないけれど、少しぐらい……と、そこまで考えて、気付いてしまった。
あんなに会いたかったのに、会った途端に自分の方ばかりが彼を好きだなと感じてしまったのが寂しいのだ。
「なんかおればっかり、あんたのことが好きみたいだ」
呟いた後で、ハッとした。
「あ、ごめん。なんでもないんだ」
こんなの八つ当たりだ。
決まりが悪くて立ち上がった。
ガタンと音がしてローテーブルにぶつけた脛が痛んだが、今はそれどころじゃない。
恥ずかしさに逃げ出したい衝動のまま動こうとした身体は、残念ながらそこから離れることは適わなかった。
捕まれた手首が強く引かれて、バランスを崩したまま落ちた先は彼の膝の上。
座り込んでしまった身体が腕の中に捕まった。
久しぶりの触れ合いに、いよいよ心臓が持ちそうにない。
「お、おれ、ヴォルフに呼ばれてたんだった」
「明日でいいでしょう?」
「じゃあ、グレタに」
「それも明日で」
子供みたいなことを言ってしまったと押し寄せる後悔に苛まれ、俯きながらしどろもどろに探した逃げる理由はすげなく却下されてしまった。
「おればっかり、なんて言わないでください」
落ち着いた声音に、心臓がきゅっとなる。
やっと会えたのに、どうにもうまくいかない。空回りしてばかりだ。
「こんなにあなたに会えて喜んでいる俺から、あなたを取り上げないで」
吐息がかかる耳が熱い。
「平気そうにしてたじゃないか」
本当に? と聞きたいのに素直に動かない口に彼は怒ることなく、耳元で小さく笑った。
「余裕のないかっこ悪いところはなるべく見せたくないじゃないですか」
「おれのは散々見たくせに」
「かっこ悪くなんてなかったですよ」
可愛かった、と不本意な言葉が続いたことに苦情を入れたかったのに、突然視界が反転するものだから言い損ねてしまった。
背中がソファにつくと同時に、視界が彼でいっぱいになる。
「会いたかった、ユーリ」
欲しかった言葉をくれた彼の瞳があんまりにも真剣で、熱を持ち始めた頬を隠すためにおれは引き寄せた彼の肩に顔を埋めた。
(2014.02.21)