彼がいない間のこと
「ったく、ユーリには王としての自覚があるのか」
ぷりぷりとした様子の弟を前に、コンラートは肩をすくめた。
ユーリの意思ではなかったとはいえ、モデルの約束をすっぽかす結果になってしまったのが不満で仕方ないらしい。
口と同時に手を動かす弟の傍らのテーブルへと、コンラートはお茶を淹れたカップを置いた。
怒った風を装ったところで、描いているのはあちらの世界へと帰ってしまったユーリなのだから、怒っているというより拗ねているといったところか。
「コンラート、聞いているのか」
「聞いてるよ、ヴォルフラム。だから筆を振り回さないでくれ。絵の具が飛ぶ」
部屋に篭るのは希少動物の分泌物から作られた、これまた希少な絵の具の匂いだ。
コンラートは筆から逃れるふりで壁際に移動すると、窓を開けた。入り込んでくる風は心地よいが、部屋に充満した匂いを消すには至らない。
よく彼も愚痴っていたっけと、いつも弟のモデルに指名される少年を思い出せば、自然と笑みが浮かんだ。
「ったく、お前が甘やかすのも悪いんだぞ。行ってらっしゃい、なんて笑顔で見送らずに、小言の一つでも言ってやれ」
二つの世界を行き来する少年の移動は、いつも唐突だ。事情があってこちらから呼び出すこともあるけれど、だいたいは突然で、いつ起こるとも分からない。
いきなりひょっこり現れることもあれば、逆もしかり。姿が見えないと探し回っている間に、眞王廟から「陛下はあちらの世界に戻られたようです」と連絡が来て驚いたこともあるほどで、今回は見送ることができただけまだよかった。
朝の支度のために顔を洗おうとした彼が洗面所に吸い込まれた時には、さすがのコンラートも驚いたが。
「ヴォルフも笑顔で陛下を見送ったらどうだ?」
「なんで僕が」
モデルなしではやる気が起きないのか、いよいよ筆をおいた弟はフンと鼻を鳴らした。
次に会ったら文句の一つでも言ってやろうといった様子だ。きっと始まるのだろう追いかけっこを仲裁するのも楽しくはあるが、追いかけられる方からすればたまったものではないか。
「しばらく会えないんだ。だったら、最後ぐらい笑顔で見送った方がいいだろう?」
助け舟、というわけではないが、コンラートは弟の傍らへと移動すると、力む肩へと手を置いた。
最近では手を振り払われることもなくなった。それは弟の変化であると同時にコンラートの変化でもある。以前のコンラートならば振り払われると知りながら自ら進んで触れることもなかった。
「あちらの世界で思い出してもらうなら、怒った顔より笑った顔の方がいいじゃないか」
思い出してくれるだろうと考えるのは、うぬぼれだろうか。
けれど、こんな風に自分たちを変えたのは彼だ。
それに、自分たちは離れていてもいつも彼を想っているのだから、少しぐらい願ってもいいではないか。
「考えておく」
素直ではない弟の言葉にコンラートは笑みを深めながら、描きかけのキャンパスを眺めた。
早く続きを描けるようになればいい。
(2014.05.28)