半月後のこと


「部屋に来ませんか?」
 風呂上がりで身体はぽかぽか。上機嫌だったユーリは、後ろからかけられた言葉に固まった。
「え?」
 足を止めて振り返った先にはコンラッド。名付け親であり護衛であり、恋人でもある男は爽やかな笑みを浮かべながら緩く首を傾げて返事を待っている。
「最近、来てくださらないので」
 彼の言葉には決して責めるような響きはないのだけれど、あえて避けていた自覚があったユーリはぎくりと身体を強ばらせた。
 最近、コンラッドの部屋に行っていない。
 最後に行ったのは半月も前のこと。それまでは三日とあけずに通っていたのに。
 行きたい気持ちはもちろんあるけれど、素直に行動に起こせないのは、前回の夜のせいだ。
 恋人として初めて過ごした夜があまりに濃密で、衝撃的だったから。
「無理にとは言いませんよ」
 即答できずにいるユーリの態度に、察しの良いコンラッドは、そう付け加えてユーリの腰へと手のひらで触れた。まっすぐ歩くように促した先はユーリの部屋だ。ここで曲がればコンラッドの部屋だというのに。
 無理強いはしない。ユーリが来たいと思ったなら。決めるのは、あくまでユーリ。
 主導権を与えられてしまうほど、動きにくくなってしまうこともあるのだと、十六年の人生で初めて知った。
「ユーリ?」
 自分の意志で曲がり角を曲がったユーリに、コンラッドは目を瞠った。
「行くよ。城の兵士さんたちとの練習試合の計画も立てたいし」
「そうですね」
 とって付けたような言い訳にもコンラッドは微笑みながら頷いた。
 本当にいいのか、なんて確認はしない。あっさりとした返事に、意識しすぎていたことを自覚して、ユーリは恥ずかしくなってしまった。本当に、ただおしゃべりをしようというお誘いだったのかもしれない。
「なんだ、そっか」
 肩から力が抜けると同時に「なんだ」という小さな呟きがもう一度零れた。
 ほっとしたのは確かだけれど、それだけではない。心のどこかでがっかりしている自身を自覚すれば頬が熱を持つ。どうやら期待していたのは自分だけだったようだ。
「どうしました?」
「なんでもないよ」
 気持ちを切り替えるために、大きく深呼吸をしたユーリは、後ろをついて歩く恋人へと振り向いた。 
 これから向かうのは、広い城の中で自分の部屋以上に落ち着く場所だ。
「久しぶりだな、あんたの部屋」
「ええ」
 久しぶりすぎて、話したいことがたくさんある。何から話そうかと考えれば自然と笑みが浮かんだ。
 目的地まであと少し。いや、もうドアは目の前で、たどり着いたと言ってもいいぐらいだったのに。
「なんか、意識しちゃうとダメだな。変なこと考えちゃって、そうするとあんたの部屋になかなか行けなくなっ」
「変なことってなんですか?」
 気分と一緒に足取りが軽くなる。そうなってくると、口まで軽くなるもので、へらっと笑って告げた言葉に、コンラッドの声が被った。
 ドアノブにかけた手に、一回り大きな手が重なってひねるのを遮る。
「え?」
 後ろから伸びてきたもう一方の手が、ドアにつく。ドアとコンラッドの身体に挟まれたユーリの視界が暗く翳る。
「もう、ここには来たくなかった?」
「コンラッド?」
 何を聞かれているのだろうか。
 振り向きざまに見上げた先の恋人の、初めて見せる表情にユーリは息を呑んだ。
「なんて顔してるんだよ。あんた、何か勘違いしてるだろ」
 怒っているわけではない。軽く眉根を寄せて、困惑と後悔と、寂しさと。様々な感情が入り混じって銀色の虹彩が翳りを見せている。
 半月前、ここで初めて抱き合った。魔王業をはじめたとはいえ、普通の男子高校生のつもりでいたユーリにとって、それは衝撃的な出来事だったのは確かだ。思い出す度に、色々と考えてしまった。
 けれど、同じようにコンラッドが何かを考えているなんてところまで、思い至らなかった。
「恥ずかしかっただけだよ」
 ノブを握ったままの手が熱いのは、どちらの体温のせいだろうか。
「だって、仕方ないだろ。あんなすごいことしちゃった後なんだから。絶対、部屋に行ったら思い出しちゃうし。それに、また、するのかなとか考えちゃうし」
「ユーリが嫌がることはしません」
「嫌だなんて言ってないだろ!」
 思ってもみない言葉に、つい、返す声が大きくなった。
 ユーリだって、自分がいつまでも子供であるなんて思っていない。恋人になったのだから、いつかそういうこともと思っていたのだ。だから、あの日だって……。
「嬉しかったんだよ。でも、詐欺だろ。絶対、痛いと思ってたのに、あんなに気持ちよくなっちゃって。男なのに、あんなことされて気持ちいいとか、またしたいとか、そんな恥ずかしいこと言えるわけないだろ」
 結局、言ってしまっているのだけれど。
 色々なことを考えたら、部屋に行くことができなくなってしまったのだ。
 その間に、コンラッドはもっと別のことを考えていたのだろう。ユーリのことに関してだけは、考えすぎるほどに考えてしまうのが彼という男だから。
「ユーリ」
「なんだよ」
 顔を上げていられなくて、頬が火照るのを感じながら視線を落とした。逃げ出したいのに、逃げ場がない。本当に逃げたいわけではないけれど。
 相変わらず、ドアノブにかけた右手は握られたまま。ドアにつけられていた手が下りてきて、ユーリの身体へと絡められた。背後から覆いかぶさってくる身体に抱きしめられて、息が詰まる。
「ユーリ……」
「だから、なん……」
 愛しています、と耳元で聞こえた言葉に、いよいよ胸が苦しくなって、手にしていたノブを強く握り締めた。
「早く、部屋に入ろう」
 こんなところ、誰かに見られたら。今更に気づいて、ノブを捻った。今度は、邪魔をされることもない。
 重なった手が離れていくのを寂しく感じたのは僅かな間で、ドアを開けると同時に再び捕まって、握り締められた。
 絡み合う指がくすぐったい。
「嫌がることはしませんって言いましたが、訂正させてください」
 部屋へと入ると同時に、普段は見せない強引さで手を引かれたユーリが、コンラッドの胸に倒れ込む。そのまま、腕の中へと閉じ込められたユーリの耳元へと、コンラッドの唇が再び寄せられた。
「やっぱり、してしまうかも」
 ごめんね、という言葉を聞きながら、軍服の胸へと額を押し付けたユーリは、ばーか、と小さく呟いた。
「嫌だって言ってない」
 練習試合の打ち合わせは、また今度になりそうだ。
 ちらりとそんなことを考えたけれど、そうなることに不満はなかった。


(2015.01.03)