どうか、どうか。


「コンラッド、泊めて」
 寝間着姿で枕を抱えて部屋を訪ねてくる年若い恋人に、コンラッドはいつも少しだけ困ってしまう。
 たとえ城の中とはいえ供も付けずに一人で出歩かないでくださいというのは護衛として。あまり無防備に泊めてくれなんて言わないでくださいというのは恋人として。
 言いたいことがたくさんある。だが、結局は彼がこうして自分を訪ねて来てくれたことがうれしくて、笑顔の下に言いたいことをすべて隠して受け入れるのだ。
「ヴォルフに蹴飛ばされてさ」
「蹴飛ばし返してもいいんですよ。ちょっとやそっとじゃあいつは起きませんから。あそこはあなたの部屋なんです」
「そういうわけにはいかないだろう。それに、あんたの部屋に来る言い訳にもなる」
 まるで秘密を共有するようにいたずらっぽく告げられた言葉のあまりの甘さにコンラッドは僅かに目を瞠り、やがてゆっくりと口許を和らげた。
「そんな言い訳がなくたって、いつでも大歓迎ですよ。あなた限定で」
 こちらも冗談めかして返してはみるが、コンラッドにとってはまぎれもない本心だ。
 くすぐったそうに笑う彼にどこまで通じているかは分からないが、彼の気が変わってしまわぬうちにと部屋へ招き入れた。


 楽しい会話にも、途切れる瞬間というものがある。
 口数が減ってきた恋人に合わせて、コンラッドもまた言葉を減らした。そろそろ眠らなければ明日に響く。
 生き生きと輝いていた宝石のような黒い瞳が、少しずつまどろみはじめるのを見守りながら、眠りを促すように布団を引き上げた。
 もぞ、と身じろいだ身体がコンラッドの方へと擦り寄ってくる。つい抱きしめようとした自らの手に気づいたのは触れる寸前。あぶない、と苦笑を漏らして、布団の上から彼の肩をやわらかく叩くに留めた。
 つい触れたくなってしまうから困るのだ。一度触れたら、もっと触れたくなってしまうのは想像にたやすい。今だって、眠そうな彼を眠らせたくないと願う欲張りな自分がいる。
 小さく開かれた唇に、触れてしまいたい。恋人という肩書きが、触れてしまえと背中を押すのだが、もっと以前からあった名付け親としての自分が、コンラッドを押し留める。
 無防備な顔で同じベッドに入ってくる年若い恋人の無邪気さも、コンラッドの身動きをとれなくする要因で。
「……あんた、ときどき困った顔してる」
 てっきり、もう眠ってしまったものと思い込んでいた相手からのふいうちのようにこぼれた一言に、コンラッドは一瞬、言葉をなくした。
 重たそうな瞼を押し上げることに苦労する様子を見守る時間はそう長くなかった。すぐに、彼の呼吸が健やかな寝息に変わっていく中で、先ほどの言葉を反芻する。
「俺が困っているとしたら、それは今がとても幸せすぎるからですよ」
 世界で一番うつくしい色の髪へと指先で触れながら、コンラッドは考える。
 手を伸ばせば届く距離に、とても大切な人がいる。こうして触れることだって許されている。
 これ以上さきに進むことで、何かが壊れてしまうことがおそろしい。どうしたって、自分は彼を失うことはできないのだから。
「あなたがとても大切なんです」
 すっかり寝入ってしまった彼が聞いていないことはわかっていた。それでも、少しでも伝わればいいと願いながら囁きかける。
 どうか、どうか、この幸せな時間がながく続きますように。


(2015.05.10)