還るべきものは還るべき場所へ
これまでの慌しいあれこれが嘘のように、船旅は順調だった。
多少、波が高くなることはあれど嵐にあうことも、海賊船にあうことも、果ては人間の船に追いかけられることもなく。
ダルコを出たおれたちは、まっすぐにおれたちの国を目指していた。
「陸だ!」
そろそろ見えるだろうと教えてくれた船員の言葉に、うきうきとしながら甲板に出たのは数十分前。
天気は良好で視界を遮るものは何もない。
船の穂先に陣取ったおれは目を凝らし続け、空と海の間に青以外の色を見つけて歓声を上げた。
「あまりはしゃぐと危ないですよ」
おれのすぐ隣に立って日陰を作っていたいたコンラッドがおれを窘める。
てっきり一緒に喜んでくれると思っていたのに。彼らしくない少し沈んだ声音に気づいて、おれは小さな陸地から隣へと視線を移した。
「うれしくねーの?」
おれは、すごく嬉しいのに。
てっきり、一緒に喜ぶために彼が隣にいるのかと思ったら、どうやらそれはおれの思い違いだったらしい。
おれのもとに還ってきてからの彼はいささか過保護すぎるほどで、さほど大きな船でもないというのにどこに行くにもついてくる。どうやら、その延長なだけだったらしいと不満げな様子が顔に出たのか、コンラッドが困ったように眉を下げた。
「……うれしいですよ」
言葉ほどうれしそうに感じないそれに、ついおれのテンションが下がっていく。
還りたいと言ったではないか。いまさらに、キャンセルはきかない。クーリングオフの期間は船旅の間にとっくに過ぎている。
テンションと同時に機嫌まで下がるのを感じてか、コンラッドがますます困ったような顔をする。
そうして、何度かの逡巡の後に、彼はようやく口を開いた。
「殴られても斬られても、殺されても構わない。そう確かに言いましたが」
確かに聞いた。あんなに感情的な彼は初めてで、いまだ記憶に鮮明だ。
けれど、その後に続いた不穏な言葉に、おれはつい彼の腕を掴んでいた。ぎゅう、と服が皺になるのも構わずに、つよく掴んだ手に彼の逆側の手が重なる。離されるのだろうかというのは杞憂で、彼はそっとおれの手に自分のそれを重ねてみせた。
「戻った後であなたに、やっぱり連れて還るんじゃなかったって言われたら、どうしようかと思っただけです。俺の立場は……とても微妙だから」
吹き抜けた風が、少しだけ伸びたコンラッドの髪を揺らしていった。
まだ小さいままの陸に向けたコンラッドの視線は、懐かしさと同時に痛みのようなものを抱えて、少しだけ揺れていた。
「今すぐ戻れるなら、ってあんたは言っただろ。おれはすごくうれしかったんだ。だから絶対に後悔なんてしないよ」
たぶん、おれが考えるほどに事態は簡単ではないのかもしれない。でも、だからなんだというのだとばかりに、おれは重なっていた彼の手をとった。
弾かれたように、彼がこちらへと向き直る。
「ばかだな、コンラッド」
離れている間に、気づいたことがいくつかある。
彼が、何でもできるくせに実は不器用なのかもしれないということ。
おれはどうしようもなく彼を必要としているということ。
それから、どうやら彼もそう思ってくれているのかもしれないということ。
「安心しろよ、コンラッド。王様のおれが戻ってこいって言ってるんだ。それ以上の理由なんていらないだろ?」
離す気はないのだと握った手に力をこめれば、コンラッドが泣きそうな顔で笑った。
(2015.05.31)