起因


 宴の華やかな空気が嘘のように、戻ってきた部屋の中はしんと静まり返っていた。
 唐突に引き倒されたベッドの上で、何をするんだという怒りよりも驚きが勝ったのは、そんなことをした相手のせいだった。
 ギシッとベッドが軋んだ音がする。
 状況を飲み込めないまま身を起こそうとしたユーリは、自分と天井の間に突然割り込んできた男によって阻まれて、再びベッドへと背を沈めることになった。
「コンラッド?」
 きょとん、と目を丸くしたままで呼ぶのは、先ほど自分を部屋に送り届けてくれたばかりの護衛の名だ。
 名を呼ばれた彼は返事の代わりに、らしくない険しい表情を更に険しくして、怒りを隠すことなくユーリの両の手首を握る手の力を強めた。
「手、痛いんだけど」
「痛いようにしているんです」
 加減がなく握られたそこが痛い。ベッドへと縫い付けられた身体は、力を入れたってぴくりともしない。
 なぜ、こんなことをされなければならないのか。
 彼に限って理由なくこんなことをするはずがないという信頼ゆえに、思い当たる節がないユーリは困惑するばかりだ。
「何にそんなに怒ってんの?」
 ユーリの困惑を感じ取ったのだろう。コンラッドが纏う空気をますます硬化させ、苛立ちながらユーリの手首を締め上げた。
「痛っ」
「あなたのその危機感のなさにですよ」
「な、に……」
「酔っ払いだから仕方ない? 未遂ですまなかったらどうするつもりだったんですか」
 言われてユーリが思い出すのは、夜会でのちょっとしたトラブル。少々飲みすぎたらしき男に、絡まれただけのこと。不運だったのは、それが夜風に当たろうと一人で抜け出したバルコニーだったというだけで。
 幸いにもすぐに護衛が来て事なきを得た。せっかくの宴の空気を壊すこともないからと、兵士さんに酔っ払いを客室で寝かせてくれるように頼んで、その件は片付いたものとばかり思っていたのだが。
「おれだって男だから、いざとなれば自分で切り抜けるぐらいできるって。相手だって、おれを女の人だと間違えるぐらい酔っ払ってただけなわけで」
「自分が口説いているのが魔王陛下だと気づいていなかったかもしれませんが、少なくとも性別は間違えていませんでしたよ」
 ぴしゃりと言い返されて鼻白む。
「言ったでしょう? この国では、男同士というのは珍しいことではありませんって」
 動かせない上半身のかわりにと動かそうとしたユーリの足は、その間を膝に割られて身動きを封じられた。
「まったく自覚がないようですから、教えて差し上げます。酔っ払いだから仕方ない? 襲われかけたんですよ、あなたは」
 鼻先が触れ合いそうな距離で、射るような視線に身体が竦む。
「俺が間に合わなかったらどうするつもりだったんですか? 唇ぐらいなら、構わなかった?」 問いかける声が冷たい。初めて見せる彼の表情は、彼の怒りの深さを教えていた。
 ゆっくりと顔が近づいて、視界が少し狭まった。鼻先がぶつかったことに構わずになおも距離をつめる彼が、まるで知らない人のようで。
「コン、ラッド……」
 触れ合う直前、名前を呼ぶ声が震えて掠れた。
 こわい。
 彼に対して、そういう感情を抱いたのは初めてだ。
「これに懲りたら……」
 寸前で身を起こした彼の唇は、結局は触れ合うことはなかった。ただ、離れる直前、ふっと彼の吐いた溜息が唇にかかって、肩が震えた。
「もう少し危機感を持ってください」
「……ぁ」
 つかまれていた手首の拘束が弱まって、ベッドの上に引き起こされた。
「驚かせてすみません。大丈夫ですか?」
 さっきまでが嘘のように、呆然とするユーリにかけられる声は優しい。いま目の前にいるのは、まぎれもなくいつもの彼なのに、どうしてだかその声が耳に入ってこなかった。
 あのまま、唇が触れ合うのかと思った。
 心配そうに尚も声をかけてくる彼の顔を見ることができず俯いたまま、ユーリはひりつく手首を何度も擦った。


(2015.06.29)