泡沫の夢(2)


《女体化注意》



 どーしてこうなった。
 ちらりと傍らに立つ姿を盗むように見ては、視線を逸らして考える。夢か、と思って自らの頬をつねったユーリは、これが現実だと確認していよいよ頭を抱えた。
 本当に、どーしてこうなった。
 いや、原因は分かっている。毒女アニシナだ。
 昼間、いきなり執務室に入ってきた赤い悪魔は『これからの男は女性の気持ちを分からねばならない!』 というすばらしい演説をするなり、室内に目当ての姿がいないことに憤慨した。
 彼女が『もにたあ』として所望したグウェンダルは、数日前から領地に戻っている。くれぐれもアニシナには居場所を伝えてくれるな、と言い残していった彼は、どうやら前回の実験で相当ひどい目に合わされたらしい。
 あんなに疲れた様子のグウェンダルなんてなかなかお目にかかることはなくて、さすがのユーリも心配になったほどだった。だから、ユーリは申し出てしまったのだ。自分が変わりになる、と。
 今すぐにでもグウェンを探しに彼の領地まで押しかけていきそうな勢いの毒女を止めるため。そして、普段からお世話になっているグウェンダルへのお礼もかねて。さらには、好奇心が少々、いや、こちらがメインだったかもしれない。
 渡された小瓶のどぎついピンク色に、早まったかもと後悔したけれど、勢いに任せればなんとかなる  はずだった。



「どーしてこうなった」
 いつの間にか疑問が口から飛び出していたらしい。
「あなたが、無茶をしようとしたからです」
 それに答えてくれたのが聞きなれない声だったものだから、ユーリはびくりと肩を揺らした。
「だって」
 だって、と言い訳をしようとするのだが、その無茶がもたらした結果が目の前にいるのだから、言葉尻が萎んでしまう。
 ダークブラウンの髪がいつもより少し長い。丸みを帯びた頬、艶やかに色づいた唇、細い首筋から肩にかけてのライン、そして柔らかそうな胸  目の前にいるコンラッドの姿に、ユーリは何度目か分からないため息をついた。
 ユーリが蓋を開けた小瓶を、横から伸びた手がひょいと取り上げた。あっ、と思った時には既に遅く、ユーリが飲むはずだった液体は護衛であるコンラッドの胃の中に納まっていたのだ。「毒見です」と、しれっと彼は言っていたが、ユーリが飲む分が残っていなかったのだから、毒見というには多すぎる量だったのは言うまでもない。
 そして、今に至るわけなのだが。
「ゴメン、って、うわっ!」
 謝るユーリの身体が、強い力で引き寄せられた。勢いのまま、ぽふり、と前につんのめった身体を受け止めたのは、衝撃ではなくやわらかなクッションで。布越しにもわかる確かなふたつの丸い膨らみは『女性』の胸だ。理解した途端に、ユーリは焦ってじたばたともがいた。
「ちょっと、コンラッド!」
 ユーリがもがけばもがくほど、ますますコンラッドの腕に力が入る。しばらくの攻防の末に、ようやく離してもらった身体を、ユーリはソファに深く沈めた。
「十六歳のセイショーネンには、刺激が強すぎるからヤメテくれ」
「あなたが落ち込んでいるようなので元気付けようかと思ったんですが、俺では役不足でしたか?」
「そんなことないから困るんだって。別の場所が元気になったらどーしてくれるんだよ」
 恨めしそうな視線を受けて、コンラッドがおかしそうに肩を揺らした。明らかに、ユーリをからかっている様子だ。
「せっかくだし、試してみますか?」
 そして、あろうことかとんでもないことを言い出した。
「な、なにバカなこと言ってんだよ!」
 試すって何を、と言うほどに純情じゃない。目の前の彼  今は彼女だけれど  とお付き合いをするようになって、それなりに色々とオトナになったユーリだ。どうしたって、経験やもろもろの差があって、受け入れる側になってはいるけれど。
「ユーリだって、女性と経験をしてみたいんじゃないかと思いまして。他の女性とされるのは嫌ですが、幸いにも一時的にとはいえ今の俺は女性ですし」
 どうです? と目の前で上着の一番上のボタンが外されるのを見て、ユーリはごくりと喉を鳴らした。スカート姿ではないとはいえ、いまコンラッドが見につけているのは女性用の仕官服だ。
 惹かれないわけではないし、興味がないわけでもない。なんたって、十六歳っていうのは、そういうお年頃なのだ。
 でも。
「今のあんたは、コンラッドだけどコンラッドじゃないみたいだから嫌だ。元に戻った後で、そのうちお願いするかもしれないけど」
 二つ目のボタンが外された胸元から視線を逸らすのは、すごく勇気が必要だったけれど、ユーリはどうにか視線を天井に向けることができた自分に、ほっとため息を吐いた。
「ってか、なんであんたはそんな冷静なんだよ」
 異常事態だというのに、慌てふためいているのは自分ひとりだと気づいてユーリがぼやいた。
 被害にあったのはコンラッドの方だというのに、彼はまったく気にしたそぶりがない。
「あなたじゃなくてよかったからですよ」
 恨みがましく言ってみたものの、笑み交じりに放たれた言葉の思わぬ反撃に、ユーリは自らの顔を片手で覆った。
 どうして忘れていたのか。彼はこういう男だ。
 これが逆の立場だったら、きっと慌てふためいたのは彼の方だったはずで、彼のそういうところを好きになったのに。
 無性に抱きつきたい気分になったけれど、さっき格好つけた手前、そんなことをするわけにもいかなくて。
「早く元に戻って」
 抱きつけるように。そうお願いするしかないユーリに、何の根拠もないくせに「なるべく善処します」とコンラッドは笑うのだった。


(2015.12.31)