Side. C
行ってしまった。
風呂に入る彼の為にと着替えやタオルを準備していたのだが、戻ってみれば風呂場には誰もいなかった。
行ってらっしゃいの一言を言いたかった気もするが、実際その場に立ち会ってしまったら、笑顔で見送る自信はない。
脱衣所に彼が残していった服を拾い集めながら考える。
次に会えるのはいつだろうか。
数日か、数週間か、数ヶ月か…。
彼がいなくなった途端に、遠乗りに連れて行けば良かっただの、城下で流行りだした菓子を食べさせるのを忘れていただの、様々な後悔が押し寄せる。
先ほどまであった光が急に失われたように、おとずれるのはモノトーンの静寂。
「寂しいですか?」と地球での暮らしについて訊ねてみたら、「別に」とそっぽを向かれた。
隠された内心を理解できたので、それ以上は追及することなく「俺は寂しいです」と告げるに留めた。
「あんたが?」と驚いていた顔を思い出す。
どれほど想っているのか、まだまだ理解されていないらしい。
いつも、どこにいても想っています。
どちらの世界も自分のホームだと言った彼を引き止めることが出来ないならば、いっそ一緒にあちらに行ければと叶わぬ夢まで見て。
「早く還ってきてくださいね」
届かぬと知りながらも、祈りを込めて。
微かな温もりを残した黒衣へと語りかけた。
Side. Y
最近、雨が好きになった。
地球にいる時限定。
大きな水溜りを見ると、ついつい足を入れてしまう。そして、靴が濡れるだけに終わると、とても落胆する。
昨夜のうちに降った雨が、道路に水溜りをいくつも残していた。
靴に染み込んだ雨水が靴下まで濡らして気持ち悪い。けれど、俺は水溜りを踏んで歩くのを止められない。
モテない人生の脳筋族な俺に好きな人が出来るとか、ましてや好きな人と恋人同士になるとか、まさに青天の霹靂。
さらには、想像したこともなかった超遠距離恋愛。
携帯の電波も手紙も届かない。次にいつ会えるかも分からない。
見上げた空さえ繋がっていない世界。
唯一証明してくれているのは、肌身離さず身につけたライオンズブルーのペンダントだけ。
向こうにいる時に、地球にいる間のことを「寂しいですか?」って聞かれたことがあった。どんな返事を求められているか分かっていたから、あえて「別に」なんて言ってしまった自分をバカだと思う。
地球に還ってきて数日はそのままの強がりで何とかなったけれど、一週間を過ぎたあたりからもうダメだ。
会いたい。
どちらの世界も自分には大切だから、片方だけに居続けることはできない。
留まれないのならば、せめてもう少し素直になっておけば良かった。
玄関まで後数歩。最後の水溜りを前に足を止める。
ここでダメならば、夜の風呂までチャンスはない。
会いたい。
グッと拳を握り締めて、俺は両足で水溜りへとジャンプした。
(2009.08.19)