風邪っぴき


 珍しく息が切れた。
 エレベーターを使うのももどかしく、階段を駆け上がる。空気は冷たいが、走ってきた身体は熱かった。せめてスーツの上着ぐらい脱いでくるべきだったと後悔したところで、今更だ。
 ようやくたどり着いた自宅のドアを開けたコンラートは、一目散に寝室へと向かった。
「ユーリ!」
「…ぁ、コンラ、ッド…」
「ああ、起きないで。寝ていてください」
 出掛けに寝かせたまま、ベッドで横になる人に声をかける。起き上がろうとするのを止めようと、慌てて手にしていたコンビニ袋を床に落とした。
「ごめん、な…。おれ、帰るから」
「何言ってるんですか。この状態のあなたを放り出せるわけないでしょう」
 毎日残業が続いてはいたが、今日は特に帰りが遅かった。
 疲れた身体を引きずるように自宅へと帰ってきたら、ドアの前に座り込む姿を見つけて心臓が止まるかと思った。
「三月とはいえ、まだ寒いんですよ。どうしてあんなところで寝てるんですか」
 昼間のうちに、明日の休みを確認するメールが来ていた。最近は土曜が出勤になることも多かったが、幸い今週は休めそうで、だから今日はいつもより残業が長引いたわけだが。
「ごめん」
 つい責めるような口調になってしまうのは、心配しているからなのだが。きっとユーリのことだから、迷惑をかけてしまったことを気に病んでいるのだろう。
 見ただけでも熱があることがよくわかる。赤い顔で、苦しげに浅い呼吸を繰り返しながら、それでも謝る姿に胸が痛くなる。
「俺を驚かせようとしてくれたんですよね」
「うん、失敗しちゃったけど」
 呼吸が荒い。それでも心配かけまいと笑おうとする恋人の額へとキスをひとつ落としてから、コンラートは先ほど放り出したコンビニの袋を持ち上げた。
「薬、飲んで。その前に何か胃にいれないと。プリンとヨーグルトとゼリー、どれがいいですか? それとも、おかゆのほうがいいですか?」
 普段はあまり利用することのないコンビニでカゴいっぱいに買い込んできた。正直、慌てていて何を選んだのかコンラート自身よく覚えていないのだが。
 ずっしりと重たい袋から、ひとつずつ中身を取り出してベッドサイドの小さなテーブルに並べていく。プレーンのヨーグルトからはじまり、フルーツが入ったもの、飲むタイプ、普通のプリン、焼きプリン、牛乳プリン、果てはゼリーまで。
「あんた、そんなに買ってどうするんだよ」
「慌てていたもので…」
「みかんゼリー、たべたい」
 食べるために起き上がろうとする身体を、今度は押しとどめることなく。支えるためにまわした手が触れた背中は、寝汗でずいぶん濡れていた。
「あとで、着替えましょう」
「ごめん」
「謝らないで」
 食欲はないかもしれないが、リクエストをもらったゼリーの蓋をあけてスプーンと共に手渡した。
「週末はずっとここにいてくださいね」
「うつったら困るだろ」
「丈夫なので、大丈夫ですよ。それに、もともと一緒に過ごす予定だったでしょう?」
 辛そうな姿を見るのは、こちらまで辛いけれど。
 辛い時に一緒にいられるほうがいい。
「治ったら、合鍵をつくりにいきましょう」
 一口ゼリーを頬張ったユーリが、スプーンをくわえたまま目を丸くした。
 やがてうつむいて表情が見えなくなったが、その耳までが赤いこと、そして、頭が小さく上下したことを確認したコンラートは、つむじの上へとキスをひとつ落とした。


(2010.03.28)