新婚さん


『これから帰ります』
 一言だけのメールが届いたのが四時間前。
 それからは掃除をしていても、洗濯をしていても落ち着かず、目の前のテレビさえも内容が頭に入ってきやしない。そわそわと何度も時計を確認しては、あまり進まない針に溜め息を零すばかりだ。
 コンラッドが出張に出たのが五日前。
 行きたくないと珍しく仕事に対してぼやいたコンラッドに「たった五日だろ」なんて笑ったはずなのに、三日目あたりからは毎晩かかってくる電話で平気なフリをするのさえ難しくなるなんて。
 ピンポーン
 チャイムの音が鳴るなり勢いよく立ち上がり、玄関へ駆け出した。
 いつもかけるように言われているドアチェーンを外すのがもどかしい。
 ようやく開けることが出来たドアの向こうに、待ち望んでいた穏やかな笑顔を見つけた瞬間、思わず飛びついていた。
 しっかりと受け止められたおれの代わりに、鞄が落ちる音がしたけれど、今日ばかりは譲れない。
 全身を使って隙間がないぐらいくっついて、存在を確認するように大きく息を吸い込んで。支えてくれる腕の強さや、馴染みのある香りに包まれていると、少しずつすり減っていた何かが埋まっていく感じがする。
 ようやく落ち着いて息を吐き出すと、頬に柔らかな感触が触れた。そのまますりすりと摺り寄せられるのが、くすぐったい。
「熱烈なお出迎え、ありがとうございます」
 クスクスと笑う声が間近に響く。
 ようやく落ち着いた心で状況を認識すれば、あまりの自分の余裕のなさに一瞬にして頬が熱を持った。
「あ、ごめん」
 人が通らなかったから良かったものの、こんな玄関で。ドアの中にも入らないで。
 慌てて降りようとしたのに、背中に回った腕が離れない。降りるという主張は笑顔で流され、ただ支えていたはずの腕にいつの間にか抱き上げられていた。
 ああ、顔が近い。
 顔を引けば、引いた分だけ追いかけてくる。
「ただいま」
 触れるか触れないかのギリギリまで迫った唇が、言葉を紡ぐ。
「お、おかえり」
 言い終わると同時に今度こそ残った僅かの距離を詰めてくる。
 こんなところで始めたのは自分とはいえ、さすがに冷静になった頭で続けることには抵抗がある。
 けれど、苦情を言うより先にドアの中へと連れ込まれ、背中越しに閉まる音がするから、ようやく二人きりになれた部屋の中、おれは言いかけた言葉を飲み込んだ。


(2011.09.21)