シマロンにて


「来いよ」
 差し出された右手を見て、考えるより先にピクリと反応を見せた左手を強く握りこんだ。
 まっすぐに伸ばされた手の先に、彼がいる。
 記憶の中の彼はいつだって笑顔だというのに、目の前にいる彼は今にも泣き出しそうな表情で、コンラートがその手をとるのを待っていた。
 触れることも、慰めることも叶わない。そんな資格は、置いてでてきたのだから。
 じんじんとした鈍い痛みが左腕を苛む。
 それは、コンラートがこの場にある意味を忘れさせないための戒めだ。
「……いいえ」
 声が震えてしまわぬように、たった一言を搾り出すのがやっとだった。
 信じられないものを見るように見開かれた瞳が、じわりと水気を孕む。
 剣を交えた後でさえもまだ自分を信じてくれようとする、彼のひたむきさが痛かった。



 壊れた扉の向こうの喧騒はいよいよ大きくなり、ひと時の逢瀬の終了を告げていた。
「どう……して」
 今にも雫が零れ落ちそうな瞳が問いかけてくる。
 コンラートが取ることのなかった手が、強く握りこまれた。拳を包み込むことも、手のひらに食い込む指の先をほどいてやることももう出来ない。
「さあ、早く行ってください。奥方がお待ちでしょう」
 躊躇う彼を促したのは自分だというのに、走り去る背中が見えなくなると同時に足が竦んだ。
 ふらりとよろけた身体を壁に預けて、夜会のために整えた前髪をくしゃりと乱した。
「……ユーリ」
 取り残された部屋の中、ようやく口にすることを許された名を呟く。
 ゆっくりと吸い込んだ息で肺を満たすと、鼻の奥が僅かに痛んだ。



 どうして、だなんて。
 そんなこと決まっている。
 この身のすべては、彼のために。


(2015.02.12)