やけちゃいますね


 すれ違う兵士と挨拶を交わしながら、いつもより足早に廊下を進む。
 ただし、手にした盆に乗せた茶器を揺らしすぎない程度の慎重さは忘れずに。
 護衛をする傍ら、午後の執務の休憩を兼ねて三時にお茶を用意するのがコンラートの仕事の一つとなっていたのだが、今日は練兵の指南役を頼まれてしまったためにお茶の時間に戻れなかった。
「すっかり遅くなってしまったな」
 そろそろ四時になろうかという時刻。
 きっと執務室に置いてきてしまった若い主はなかなか戻らないコンラートの帰還を待ちわびていることだろう。
 空腹のせいか、それとも執務に疲れてかは分からないが。
 どちらにしろ、笑顔で迎えてくれるだろう姿を想像すれば、口許が緩み自然と歩みが速くなる。



 コンコンコン。
 片手で器用に盆を持ち、ノックを三回。
「失礼します。お待たせしました、陛下」
「あ、お帰り、コンラッド!」
 執務室には、意外なことに若い主が一人取り残されていた。
 出掛ける時にはコンラートの兄がいたはずなのだが、一体どこへ? 視線を巡らせるコンラートに気づいたユーリが、苦笑交じりに赤い悪魔の名を告げたので、納得をした。
 それなら彼が一人残された状況も頷ける。
「遅くなってすみません。お腹は……空いてないみたいですね」
 書類の傍らに見慣れぬ小皿を見つけて、おや、と眉を上げた。
「三時になってもあんたが戻ってこなかったからさ」
「すみません」
「いや、責めてるんじゃなくって。コンラッド早く戻ってこないかなって何度も時計を見てたら、グウェンがくれたんだ」
 常日頃から、若い主を甘やかしすぎだとコンラートに告げる兄の、額に刻まれた皺を思い出す。
「これ、グウェンのおやつだったのかな。いつも遅くまで仕事してるし、夜食?」
「彼はかわいいものが好きだから。グレタやリンジーに偶然会った時なんかに渡すために持ち歩いているんじゃないかな」
「なるほど」
 かわいいもの、のカテゴリに含まれていることに気づかない主へと、コンラートは紅茶を注いだカップを差し出した。
「いつの間に、そんなにグウェンと仲良くなったんです?」
 感情をなかなか表に出さないシャイなところにある兄が、この若い王をそれなりに認めていることをコンラートは知っていた。気づかないのは本人ばかりで、ユーリの方は怒られてばかりだと時折嘆いてみせるのだけれど。
「そうかな? 相変わらず怒られっぱなしだけど」
「そうですよ」
 疑う彼へと繰り返せば、彼はまんざらじゃなさそうにはにかんで、皿の上のクッキーを口へ運んだ。
 彼がここへやってきたばかりの頃、新しい王へと頑なな態度をとる兄弟に対して「勿体無い」と思っていた。
 彼はきっとすばらしい王になる。そう確信していたコンラートは、二人が早くそのことに気づけばいいと純粋に願っていたはずなのに。
「なんだか、やけちゃいますね」
 なのに、願った通りになった今はどうだ。
 彼らの距離が近づくにつれて、喜ばしいばかりではない感情が顔を出す。
 笑みを浮かべることで口をついた本心を冗談という形に誤魔化すコンラートへと、ユーリが手にしたクッキーを差し出した。
「妬くなよな。あんたのお兄ちゃんじゃん。兄弟なんだから、おれなんかよりよっぽど近くにいるだろ?」
 屈託のない笑顔を向けられて、コンラートは目を瞠った。
「……そうですね」
 そうではないのだけれど。
 コンラートはまぶしい笑顔から視線を逸らすため、そっと目元を伏せながら腰を屈めて口をあけた。
「美味しいですね」
「だろう? あんたと食べようと思って、半分残しておいたんだ」
 嬉しそうに彼が笑う。
 手ずから食べさせてもらったクッキーはとても甘くて、ほんのりしょっぱい。
 それは、まるで今の自分たちのようだった。


(2015.02.12)