小休止


 大きな手が頭上にあった。
 てっぺんからそうっと髪を梳いていく動きを飽きることなく繰り返すそれは心地よくて、ユーリの身体から力を奪う。
 行儀悪く膝を抱えてソファに座っていたユーリは、隣に座る男の身体へと身を預けたまま、ずるずると身体を倒していった。
 もはや座っているとも呼べないような姿勢は、他の者が見たらだらしがないと眉をしかめただろうが、ここは魔王の部屋ではない。だからいいのだと、ユーリは自らの力で座ることを放棄した。
「この手が、悪いんだ」
 ずっと黙り込んでいたユーリがようやく漏らした言葉に、手の動きが一瞬だけ止まった。けれど、またすぐに動きだす。どうして? と理由を問われているようで、ユーリは唇を尖らせながら、だって、と子供のように言葉を続けた。
「あんたがこうやって甘やかすから、おれがダメになるんだ」
 こんなのは八つ当たりだって分かっている。でも、受け止めてもらえるのだと教えたのは彼なのだから、仕方ないだろうとも思う。
 魔王になってから随分経ったのに、いまだうまくいかないことだらけだ。基本的にはなせばなるさのポジティブ思考で、未熟なのだから少しずつがんばるしかないと自らを鼓舞していても、どうしたってダメになる日がある。
 そういう時に、うっかり駆け込める場所があるから、こうやって甘えてしまうのだ。
 彼は、決してがんばれとは言わない。ただ、今みたいに黙ってユーリの話を聞きながら、頭を撫でてくれるだけ。
「あなたは決してダメじゃない」
「グウェンに、あれだけダメ出しされたのに?」
 昼間のことを思い出せば、自然とユーリの眉間に皺が寄る。グウェンダルみたいになっていますよ、と笑われて、ユーリは少しだけ眉間から力を抜いた。
「彼はあなたにダメ出しをしたんじゃないですよ。ただ、あなたの出した案では、すぐに実行に移せないと言っただけで」
「同じことだろ」
「ぜんぜん違います。嘘だと思うなら相談してみてください。グウェンダルも、ギュンターも、ちゃんとあなたを助けてくれます。もちろん、俺もね」
 頭の上で手が動いていた。ひと撫でごとに、ユーリの身体から力を奪う。散々に撫でられた今はもはや、ふにゃふにゃで、あれだけあった憤りがずいぶんとどこかへ行ってしまった。
「あんた、おれのこと小さい子供だと思ってるだろ。名付け親だからって」
「思ってませんよ」
 ユーリの問いに、涼しげな声が返された。
 背中を預ける形になっているから顔は見えなくても、ユーリにはわかる。彼はぜったいに、楽しげに笑っているだろう。
 だから、やっぱり思うのだ。この手がいけない、と。
 まるで小さな子供になったような錯覚を覚える。ただ守られるだけの、親から与えられる無償の愛情をまったく疑う必要がない小さな子供。ユーリの身体を包むのは、安心感だ。
 実際、彼には守られ、助けられてばかりだ。
 いつだったか、魔王になったのだから、もうこちらの世界に根をおろせと迫られたことがある。魔王になって一周年の祝いの宴だっただろうか。不在がちの王様で申し訳ないと感じてはいたけれど、急に言われたって頷けるはずがない。けれど、彼らの言い分もわかるものだから返事に窮したユーリを助けたのは、コンラートだった。
『本来ならば成人してから迎えるはずだったんだ。そんなに焦らなくてもいいじゃないか』
 いつも通りの笑顔で、さらりと助け舟をくれた。焦らなくていいという言葉が向けられた先には、確かにユーリも含まれていた。
「おれ、ちゃんとした王様になりたい。完璧な王様を目指してるんじゃないんだ。でも、みんなが笑っていられる国を作りたいと思うよ」
 この国を大きくしたいわけでも、強くしたいわけでもない。ただ、皆が幸せになればいいと思うし、その手助けをしたいと思う。
「あなたなら、大丈夫ですよ」
「ほんと、親バカだな、コンラッド」
 何の根拠もないのに力強く肯定してくれる彼の優しさが、ユーリの耳に心地よく響く。
 同時に、その信頼と優しさに応えなければという思い湧き上がる。それを原動力にして、また明日から頑張らなければと考えながらも、今だけはと優しい手に身を任せるのだった。


(2015.11.16)